この言葉を感覚的に知ったのは学生時代だと思ってましたが、よくよく考えると家業の倒産直前で父親は蒸発、残った家族は市街地から南北に二分して転居、ただ倒産翌日の記憶はありますが、その後の記憶は高校受験まで殆どなくいつ引っ越したのかの記憶もないので勘違いのようです。
高校生時代は祖父母と同居でしたが従弟が泊まりにきた時「私やお前は自分の家庭を持たない限り安息場は無いよ」との言葉に納得したのを覚えてます。16才から付き合ってた嫁さんの母親に急かされ22才の4月26日、グァム島の教会に行き2人だけで結婚その報告がてら実家に行った際に聞いた過去の栄光に拘る母親の話しで感じたものではないかと思います。
家業倒産後、母親と姉妹、祖父母と僕と別々に住むようになると母親や姉妹と年に一度逢う程度の疎遠になりましたが、母親が逢いに来る事も無いのですから、親子ですが互いに何処か相容れない感覚があったのでしょう。この辺りは後日書きたいと思います。
母親の口から出るのは「倒産して無かったら」「昔は――」など前向きで肯定的な話題でもなく、過去に執着した話しばかりで耳障りでしたが、自分は新たな家族との人生に向けて前向きだから尚更の事だったのでしよう。
母親は冗談交じりで笑って話してはいますが何処か苦しそうで可哀相な人に思えたし、我々が帰ったあと虚無感で落ち込まないかなぁと思いました。ただ客観的な目で母親を見られた事で反面教師として、その後の人生に於いて大きな学びになりました。
執着の多くは「若さ」「体力」「容姿」「生活水準」など過去に捕らわれる事で『前向きな自分を失い』『他人からは滑稽に見えて』『自身を苦しめる』ならば過去の栄光と虚像は捨て、今と未来を明るく、楽しくする為に生きるべき。
反面教師ではありますが人生を二分するほど重要な『執着』と『信念』の違いを客観的に初めて見せてくれたのが母親でした。誰でも人生の中で様々な拘りがあり、僕自身も『葬儀支援』に拘り続けていますが信念が執着にならないよう何処までも『信念』としての葬儀支援を貫きたいものです。
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