無信仰者を公言する人間だからこそ――、かもしれませんが最愛なる人を亡くした家族に掛ける言葉などなく、何を言っても無責任な言葉でしかありませんので「葬式の期間は喧嘩せず最後まで温かく送りましょう」が当支援センターのモットーです。
「事前相談」「逝去後打合せ」「葬式後の話」「拾骨時の説明」で時間を掛けるのは、先導役として最後の最後まで温かく送れる空気を創り出す手段でもあります。
その中で仏教の「輪廻転生」キリスト教の「復活」、言葉の意味は似て非なるもので全く違いますけど、残された家族にしたら少し前が向ける言葉のような気がします。
仏教もキリスト教も無信仰者で部外者の僕の解釈ですから、信者からすると「違うよ」と言われるかもしれませんが、本日のテーマにとって各信仰毎の真意はさほど問題ではありません。
「人は土から生まれ土に還り」「あの世など存在しない」「死後の魂など無い」と考えておられる方も相当数いらっしゃいます。生まれ変わりは僕自身の記憶にはありませんが、世の中の全てが化学で説明できる事ばかりではない体験は何度もありますので個人的には肯定も否定もしません。
ただ人生は一度だけで死んだら終わりと考えると、嫌な奴は殺し、金が無ければ盗み、法律や道徳など無視して生きても構わないとする思考の人がいても不思議ではなく、頑張って生きようとする人も減るし、何より前向きな思考に成り難い気がするのです。
「来世がある」「いつか復活する」と考えたほうが『夢』があるし日々の人生を前向きに向上心を持って生きられるような気がします。
宗教とは本来『どう生きるかの指針を説くもの』であって葬式=宗教ではないはずです。
来世は天界人として生まれるんだと弱き人を助けながら徳を積む日々を送れるとしたら、神と結ばれるよう神の教えに背くことの無い日々を生きようとするなら、どちらの人生も世の中の得(徳)になる生き方であり必要とされる生き方になることでしょう。
そう考えると人生に於いて「輪廻転生」や「復活」は無信仰者の僕にも前向き思考と思えるのです。
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