葬儀支援は俺の誇り

我想う支援日誌
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前回のブログで「経営の安定」と「弱者支援」を天秤に掛けてる自分を知り『馬鹿じゃねぇ?』と我ながら一人で苦笑、普通に考えて「経営」が優先なのは比較どころか考える必要さえないのですが、何故だろうと改めて考えてみました。

商売として考えてない葬儀支援

我が人生を振り返ると幼少~少年期、金銭面限定ですが普通より恵まれた環境で生き、家業倒産からは「金」と「家族の温もり」を追いかける人生が30代まで続いたが、偶然入った美容業界で上から目線の美容室経営者に頭を下げずに売る方法を考えます。

普通の営業は「商品」を紹介して販売しますが、それだと権利を持つメーカーの造る製品頼みになり、最終的には値引き合戦となる事も分り、且つ小母さん(失礼、、)に好き勝手言わせず売れる方法を考えていると税務署が美容室に集中して入ってる事が分りました。

そこで若干経理の知識があったのを利用して「税務署が美容室に入ってるけど先生の所は大丈夫?」と餌を投げると大半の美容室は喰いついてきましたので「仕訳」「経費」の話しから入りこむ事に成功したのを機に「キャンペーン企画」は本職で得意だし「スタッフ教育」は自分も勉強しながら進める事でコンサルティングセールスを美容業界で実践しました。

帰宅は早くて午前零時、普通で午前2時、遅いと明け方と身体は大変でしたが、他人に頼られ信頼されてる実感と満足感を得るには能書きでなく結果が絶対条件、元々が凡人ですから身体、頭、時間の全てを使っても足らない程でしたが、成し得た時に相手から感じる絶対信頼はお金では買えないものがあったんだと思います。

それと同じような思いがが葬儀支援の根底にあるのだと思う。

支援事業はどう考えても「金」ではない、名誉かと言われても違う、葬式が好きなわけでもない、頼られる快感!?とでも言うのか、頼って来られた人達の信頼に応えられ喜んでくれる姿を実感した時の満足感は生き甲斐にさえなり、その感覚は千明にもあるようです。

50代からだったから得られた生き甲斐

若い時に葬儀支援と出逢ってたら、多分組織を大きくする事を最優先したろうから設立数年後に訪れた拡大路線に乗って走って結果は分りませんが今とは違う価値観を持ってたのは間違いないでしょう。

過去の社長経験から会社を大きくしたい欲はさほど無く、机の前に座って指示してるより現場で動いてるほうが性に合ってるのも分った上での出逢いだったのも幸いしたと思う。

葬儀社を商売として捉えてる大半の経営者から見れば「絶好の機会を逃した馬鹿な奴」「あり得ない薄利で自己満足してる馬鹿な奴」、きっと若い頃の僕自身ならそう思っただろうけど、物欲より支援を優先させたい自分を客観的に評価すると『そんな自分が誇りなんだろう』とさえ思えるのです。

僕より年上でも現役でバリバリやってる人達も沢山おられるでしょうけど、過半数以上は勇退というかリタイア後の隠居生活、僕なら毎日どう時間を潰そうかと考えてしまいそうで性格的に惰性で生きるのが苦手だから、どんな老後になってるか見当もつきませんが楽しくは無いだろう。

会員さんの多くは値上しても良いから続けて――、

会員さんの多くは値上して続けて――、と言われるでしょうが「弱者支援」が設立初志、余裕が無くても人は死ぬのだから誰にでも選択肢は在って然るべきが原点――、だから経営が成り立つ最低限の料金体系を維持しながら続けたいと思う自分がいます。

何もわざわざロープの上を歩かなくても、もっと安全な橋の上を歩けば良いんじゃねぇ!? 自分でもそう思う反面、誰が見ても違和感無い葬具を使い、料金数倍の直葬より豪華で、家族が最後まで温かく送れて、財布への負担が軽い葬式や遺骨、墓の実現をし続けたいと思う自分のほうが強い。

且つて上から目線の経営者に頭を下げず売る方法を考えたように業者が頭を下げるのでなく、利用者が有難いと思ってくれるような事業がしたい!? だから儲けは無くても葬儀社でなく葬儀支援を続けているし、それが『俺の自尊心』であり「誇り」なんだろう――、

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