今を生きる

我想う支援日誌
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1954年に生まれ、2024年11月には70才を迎える――、
そうかぁ俺も70才になるんだぁ、
70才になった自分、ようするに老人となった自分を想像する人は余りいないんじゃないかな、
こうして文字にしても実感は湧かないのは僕だけではないだろう。

70才、完璧な老人である事は間違いなく、酸いも甘いも噛み分け、悟りの境地に達した人間
のようなイメージでしたが、さほど成長した自覚すらないまま70才を迎えそうです。

最近は同年代の終幕も増えたからか、65才位を境に終幕が現実味を帯びてきた感があります。
とはいえ日々、人の終幕を見て、関わっているにも拘わらず自分の「死」を本気で考える事は
ありませんから、鈍感なのか、馬鹿なのか、前向きなのか・・・・

65才を境にして最も変化した事と言えば「未来に向かって生きる」という感覚から卒業して、
いつの間にか『今を生きてる』自分がいることでしょう。

それと同級生の人達の入会も増えてますけど「70才」の人から受ける印象は50代~80代まで
と大きな開きがあること、別に若く見える必要はありませんし、若く見せたいとも思っていま
せんが「家族から大丈夫ですか?」と心配されるようでは困ります。

幸いな事に今年70才になると口にすると、60代以上の人達からは「50代だと思った」と事前
相談で話した人達、葬式で初めて逢った人達から言われ、若く見えた理由も聞かされますが、
老人と思われるか、中年と思われるかの違いは動作、会話、雰囲気のようです。

動作(歩き方・機敏さ)

まずは歩き方、老人は少し前のめりの姿勢で歩いたり、歩幅が狭くなり、歩く速度も遅いよう
ですから、速く歩く訓練をされると良いでしょう。

早歩きは時速6㎞ですから、それ以上のスピードで2分歩いて、時速4㎞に落として1分歩く
のを繰り返す程度でも違うかもしれません。よく1万歩と言いますが、のんびり歩いても左程
意味は無いんじゃないかな、15分で良いから超高速と普通の歩きをしてみると良いかもです。

僕は元々歩くのが速く、新宿、池袋の駅構内でも大股で他人を除けながら歩くタイプなのと、
仕事も少数精鋭ですから、のんびりしてられないのが幸いしてるようで、必然的に機敏な動き
にならざるを得ないだけの事ですが、日々訓練してるようなものです。

会話(スピード・会話力)

葬儀支援の中で大事なのは葬式より各種死後手続き、個々の家族毎に手続き内容は異なるので、
法律、手段も違いますから、それらの正確な知識と対処法を常に学んでおく必要があり、その
実践方法を正確に伝える話術スキルも必要です。

家族の大半は全く知らない事の連続ですから、理解して貰うまで2時間ほど必要なのも普通、
それをできるだけ短時間で理解して貰える話術は必然となり、のんびり話してたら1日がかり
ですから、話すのは速くなります。耳の悪い老人は聞き取れない事もありますけど、まずは、
何をすべきかだけでも理解して貰えれば先に進めるわけです。

雰囲気(与える印象)

年中無休、24時間体制ですから、空いた時間を有効に使えないと仕事漬けの日々と成り得る事
から、数時間の空きでも効率的に『楽しむ』時間にするのはとても大事です。

散骨の途中で「いちご狩り」、帰りの道中で「永井食堂もつ煮定食」、1時間あれば「コストコ」
3時間あれば「カラオケ・買物」半日あれば「おにぎり持って出掛け」、30分なら「ダンボール
処理」など、日々の空いた時間を有効活用する術が16年間で身についてるようです。

日々がこれらの連続ですから、その辺りの印象が若く見えるのでしょう。
悠々自適ゆうゆうじてきな生活」を望まれる方も多いようですが、ようは暇人ですから、僕は苦手で少し
追われるくらいが丁度良いみたいです。

今を生きる

先日、女優の山本陽子さんが急性心不全で亡くなられましたが、人の終幕は自身も含め、誰にも
分らない――、これが人生であると嫌というほど経験させられ、人生とは我が終幕に向けた歩み
である事も実体験として学びましたので、実感は無いながらも僕の年代は未来に向けて生きるの
ではなく『今を、今日を精一杯生きる』事が最適であると思う今日この頃です。

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