葬式も自分流・家族流で良い
ちなみに16年間で2千数百件の葬儀支援を担当してきた僕自身は無信仰者ですから『火葬だけの葬式』と『散骨』の葬式が最善、あとは残る家族の希望や思いで好きにすれば良く、自分の死後、あーだ、こーだの思いは無く、法律に触れない死体処理をさえして貰えれば、死んだ後まで家族に面倒を掛けたいと思わない。
死後に預貯金があれば、嫁さんの生活に使ってくれたら良く、当方プランで言えば『ばっく60・11万円税込』だけ、預貯金から出してくれたら良いだろう。本当に逢いたい人がいれば事前に逢っておくはずだから、その辺りも余分な神経を使う必要はなく家族だけで送ってくれたら充分です。
自分に自信があれば他人の目は気にならない
金が欲しい――、と金を求めて仕事をしていた20代、憧れと見栄を張ってブランド品を身に着け、割賦払いで新車に乗り、高級店の料理が旨い、コーヒーは酸味のあるモカだな、とほざいたりしてた時期もあった。
幸いにも働くという事が嫌いで無く、働く喜びを教えてくれたのは蒸発した父親でした。実家のスーパーが午後7時閉店、店員さん達が帰ると在庫管理をしながら父親は品出し作業、時々呼ばれて手伝わされました。
姉と妹は呼ばれず、何で俺だけ? と思いながらも菓子類や缶詰にハンドラベラーで値段を付けながら2時間ほど手伝うと2階の自宅に戻ります。
父親が風呂から上がると晩酌、ふた付の器が数皿用意してあり、手伝った日だけ父親と同じ器が用意してありました。姉妹は「なんで僕だけ!?」と言った事もありましたが「僕は仕事をしてきたからだよ」と言われ、ちょっと誇らしかった記憶もあり、これも仕事と帝王学のひとつだったのでしょう。
家業倒産後は金もなく、自分の時間を労働して金は得るものと身をもって体感、ただ先祖が残してくれた財産や資産を守らねばの重圧が無くなったのは、今にして思えばラッキーだったのでしょう。
昼夜問わず、休日も問わず、母子家庭のような現実でしたが、持てる時間の全てを仕事に費やせた事で、年収600万円を超えた辺りから変化が始まり、年収1,000万円に届き、経営者人生も10年を超えた頃には、無駄な見栄や世間体は無くなってる自分がいました。
3万円のポシャツは980円となり、車は普通に動けば良く中古車を乗り潰すのが最善と考え、玉子掛けご飯、水掛ご飯にキューリのQちゃん、味噌汁掛けご飯、俗に言う猫まんまが好き、コーヒーは200g398円の名も無いイタントコーヒーが好きと堂々と言える自分がいたのは『自信』なのでしょう。
この自信は、金があるとか、社会的地位が、、という事でなく『大人として』『家庭を持つ男として』そして何より『自分の生き様』に対する自信なのだろうと思う。
葬儀支援の道は「生き方」を教えてくれました
35才で起業し美容業の経営者を20年弱して分ったのは、経営者になりたい訳でなく、商売で儲けたい訳でも、社会的地位を求めてる訳でもなく、あえて言うなら『自分なりの生き甲斐を求めてる』事、思っていた以上に金銭や物欲は無く、普通に食えれば良い程度の物欲には自分ながら少し意外でした。
17年前の2007年、父親逝去の一報からの流れは当時の僕の意思を無視するかの如くの激流でしたが、その結果が葬儀支援の道を切り拓く人生となったのは、諸条件、人材など、いくつもの偶然が重なったラッキーですから、運というかツキに恵まれた人間なのは間違いないでしょう。
これだ!と思える仕事(もの)に出逢えたら猪突猛進
僕の経験で言うと適職 ≠ 天職ではありません。結果は出せても好きじゃない仕事もあるので、その辺りは勘違いしないほうが無難、僕の場合は営業職がそのひとつ、結果は普通の人の数倍ほど出ますが、好きになる事はありませんでした。多分、目的達成の為に頭を下げ媚びるのが嫌いだからでしょう。
もし天職と巡り会えた人は猪突猛進できるはず、その際は周囲の雑音に惑わされる事なく、思うが侭に突き進んでみるべきで、それでも流れが順調なら必ずや達成できるでしょう。もし途中で流れが淀んで進まなくなったら、何かが間違ってるのですから朝令暮改で結構、即座に方向修正することです。
あなたの人生は、あなた自身のもの、家族をしっかり食わせたり、養えるなら、自分の人生を生きるべき、と同時に家族達にも個々の人生があることを忘れてはいけません。
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