儲からない恩恵は「信用」

我想う支援日誌
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儲けられるのに儲けない

入会相談をしていると当葬儀支援センターの発想と利用者目線は合致するようで、時々「どう聞いても儲けられるのに儲けない理由が分かりません」と言われる事があり、その発言は例外なく男性、改めて職業は聞きませんけど経営者か準ずる人なのかもしれません。

話しが本題から逸れるので、それ以上は話しませんが、おそらくは『赤字に成るほど安くしなくても良いのでは?』の疑問が湧き、赤字を背負ってまで日本一低料金にしなくても、そこそこ利益が出る設定にして全国展開すれば儲かるのに何で? と思うようです。

これが疑問符の正解だとすれば、言われてる事は理解できますが、立ち位置が違うという事です。同様の疑問を持たれる方は「事業=儲け」という場所に立ってる方、我々は「あんしんサポート=支援事業」という場所に立ってる違いです。

最大の違いは価値観、「金」が主軸の発想に立てばその通りですが、僕らの価値観は「商売・金・儲け」より勝るのが「他人様に喜ばれる事で得られる自己満足」なんだと思う。

僕自身は更に「祖父母・姉に対する後悔の念」が付加されてる分だけ思いが強いかもしれません。あとは年齢的な面もあってか『食えれば良いんじゃねぇ』的な発想があるのも事実、単なる老いなのか、ある種の悟りか分かりませんが「物欲」は確実に減少してます。

継続からの「信用」からの「喜び」

「葬式とはなんぞや」の思いと余裕の無い家族の選択肢すら無い葬式実態を知り、疑問よりも怒りを覚えた17年前、『なら俺が創り出してやる』と目標にしたのが、国保葬祭費5万円で骨壺に納まれば一銭も無くても気楽に生きられ終幕を迎えられる。という前代未聞の発想でした。

葬儀屋・寺の主張する供養論は弱者の敵でしかないと一石を投じた事から、新聞、テレビを始め注目を集めると寺や葬儀屋からの誹謗中傷もありましたが、かえって活力源になり、事ある毎に公言し続けた事で引くに引けない状況も幸い、やるしかない状況に追い込まれた。

ふく盆にかえらず、己が発言で自分を追い詰め、背水の陣を敷く結果となりましたが、無謀な挑戦は覚悟の上と会葬者150人の葬式(宗教者含む)でも90数万円で実行すると、新聞で相場の4割価格と称され、5万円散骨、5万円火葬支援プランと、目標が1つ完成する度に称賛された。

設立から数年間は「嘘だ」「最後に追加される」「絶対にできない」等々、様々な中傷もありましたが、主張通りに実現し続けると誹謗中傷も聞こえなくなり、利用者から「感謝の声」と、支払い時には「本当にこの金額で良いんですか?」の言葉をどれだけ聞いたでしょうか。

17年間、微塵みじんも挫折感すら湧かず来れたのは『誹謗中傷』『称賛』『感謝の声』日々聞こえてくる正負の言葉がエネルギーとになり『覆水盆に還らず』の公言を繰り返し、自ら『背水の陣』引くしかない状況に追い込めた結果、文字にすると大変そうですが過ぎてみると「楽しい日々」でした。

初めは嘘くさいと思われる発言だとしても、目標達成させ続ける十数年で想定外の『信用』が得られたのが全て、もっと言えば『人は自分の想定以上で無ければ称賛しない』しかし『想定以上と納得すれば信者のようになる』ようで利用者だけでなく当方に関わる方々にも『信用』が得られたのた最大の恩恵です。

追う者は一兎も得ず

「二追う者は一兎も得ず」の例なのでしょうか、勿論、打者でも投手としても一流の大谷選手のような方もおられますが、自分の過去を振り返れば能力は分かります。

自分の意思より強い流れで漂着したのは、家族の死で辛い思いをする心の傷に付け込んで暴利を貪るのが当然で、常識の如く言われる理解不能な現実が横行し、寺と葬儀屋の霊感商法・誘導商法・脅しが正当化される摩訶不思議で到底理解も納得も出来ない現実でした。

今思えば全て良き思い出だけど、当時は『俺が諦めたら葬式は変えられない』との思いが強く、葬儀屋と寺への怒りの炎に家族の感謝の声が油を注ぎ続けてくれたから『目標の炎』を消さずに走れた。

でもそのお蔭で葬儀屋には経験できない利用家族の実情、本心、苦悩からの感謝を日々聞かせて貰えたから、国内初の支援内容が次々に創り出せたのですから、これ以上の恩恵はなく、その結果として『生き甲斐』『感謝される喜び』そして『人としての信用』が得られたのですから出来過ぎです。

5才の時に祖母から教えられた「商人に大事なのは「お金」じゃない、信用と思い遣りだよ」が、ようやく少し分かった気がします。

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