いつだったか「成功する人の真似は出来ず共通点があるとすれば諦めない意思の強さ」だけど「失敗した人には責任転嫁する共通点がある」と書いた事があり『運』の良し悪しも全く同じ気がする。
初対面の人は100%の確立で「坊ちゃん育ちでしょ?」「苦労した事ないでしょ?」と言われるが、確かに苦労した事はないので「そうだね」と答えると「だと思った顔に出てるもん」と言われる。
幼少期から少年期
5才の記憶だと思うけど、母屋から中庭を通ると風呂のある離れがあり、離れの中に風呂場があって三面は壁ですが1面は壁もなくは、大きな穴が3つ開いてる釜戸、我が家専用の井戸と流し、一度に鯛が20尾ほど焼ける場所など、家の中が全て見える変わった離れの家でお婆ちゃんと風呂に入ってた。
すると知らない小母さんが子供を連れ、背中にも背負って「お世話に成ります」と言い、翌日雑巾掛けをしてたので、すぐに仲良くなったお姉ちゃん(8才)に聞く「あの小母ちゃん誰?」「お前のお母さんだよ」「お母さん ??ふーん」と言ったのを覚えている。
父とは再婚、子連れ(姉)だから反対されてたが、僕が生まれた後では養子になると入籍、生まれて数か月の時、祖父母が孫(僕)の顔が見たいと父親が連れて行ったまま、返してくれなかったと母は言った。
「返してくれなかったで終わりなの!?」と思ったけど三つ子の魂百までなのか、母親から祖父母の悪口を何度も聞かされましたが、祖父母に育てられた僕は嫌悪感しかなく母親とは反りが合いませんでした。
商人で金銭面は恵まれてた中学3年のある夜、滅多に顔を出さない父親が僕の部屋をノック「人生は色んな事があるけど、お前は男なんだからしっかり生きるんだよ」の言葉が父親との最後、翌日午前0時倒産、その後は長屋風の公営住宅で70代の祖父母と暮らしました。
霧雨の降る倒産時は鮮明に覚えてますが、その後いつ引っ越したのか、引っ越すまでの記憶は今もなく中学の卒業写真も含め写真類は一切残ってませんから、卒業写真配布後の引っ越しだと思います。
倒産したからと言われるのが嫌で倒産を機にヤンチャも卒業、高校1年のバイトは新聞や牛乳配達、短時間のスーパーより、深夜まで稼げるキャバレーでしたがヤンチャ時代の人間関係が役に立った。
人生は与えられるものでなく自分で切り拓くものと16才で強制的に教えられ感受性の強い時期だけど、金がなければバイトで稼げば良いと考えられる年代だったのも幸いしたと思う。坊ちゃんから貧困への生活は我慢の連続だけど、だから身に付いた忍耐、努力そして自分より弱い人への優しさもある気がする。
貴方が僕の立場だとしたら、、
周囲は悲劇のヒーローにしたがる? 叔母達は僕に苦労したと言い、この時期を知る人達や話しを聞いた人達も同様で「苦労されたんですね」と言うが、僕自身の中に苦労した記憶はないから「苦労はしてない」と断言するが、周囲は苦労人にしたいの!? と思う発言ばかりする。
その発言に感化され『俺は苦労した』と思うようになったら終わり、自分を悲劇のヒーローにして何の意味がある? 何のメリットがある? デメリットしか無いが人生の大きな分岐点は間違いない。
人生に「もし」は無く歩いた道しか無い、金、心身の健康、家族が無くても、平和な国に生まれたとか、自分に与えられたもので自分なりの幸せを模索すれば良いと教えられてるのだから、法律に触れず、周囲に迷惑を掛けず、自分の幸せを目指せば良い。
だから今の僕がいる
「もし」は無いと言ってる側から矛盾するが、坊ちゃんのまま大人になってたら、貧乏の実態は知らず、金は有って当然と思う道楽息子、まぁ人間のクズになってた可能性もあるから、良くも悪しくも全ての経験が今の自分を形成してるのは間違いない。
そう言えば小中学校の同窓会(1学年400人程)に行った時、一緒に遊んだ記憶の無い同級生からNHK放送を見たようで「武井って葬儀支援するような奴だっけ?」と言ったら「違うよ俺は同じクラスだったけど怖かったじゃん」と別の同級生に言われ苦笑『そうか俺って怖かったんだ』と知った。
彼らの印象は倒産前の僕だから、家業倒産は最悪だけど、僕がまともな人間になる為の必要悪だったとすれば、不運、幸運、失敗、成功問わず、全てが人間形成に必要なこと、完成された人間なら若干の矯正で済むけど、僕のような駄目人間ほど強烈な試練が必要だったのかもしれません。
倒産前夜に家族を捨て夜逃げた弱い父親でしたが「可愛い子には旅をさせろ」「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」を実践したようなものだから、父親は教師であり反面教師でした。
過去だけでなく、これから訪れる「幸運」「不運」は、貴方の人生に於いて必要だけど足らない部分を教えてくれるもの――、だとしたら逃げずに教訓として捉まえるべきかもしれません。
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