一年の無事を感謝
2024年12月31日、政治は混沌とし続け、物価も上がり続け、年末にはガソリンも上がって2025年は更に暮し難い日本になりそうで言いたい事は山ほどあるでしょうけど、全て心の中から消して、今年1年を無事過ごせた事に感謝しながら新年を迎えるほうが精神衛生的に最も良い判断だろうと思う。
2024年はどんな年でしたか?
病気になりましたか?
医者に通いましたか?
辛い事がありましたか?
良い年だった人、最悪な年だった人、色々な1年を過ごしたでしょうが『大晦日を迎えられてます』このまま行けば正月を迎えられる。それで良いじゃないですか。上等じゃないですか。
1年の中で最も「生きてる」事を実感しやすいのが大晦日、中山美穂さん、西田敏行さん、日野正平さん等々の有名人も他界され2025年元旦を迎えることはできませんけど、自分は迎えられた事に喜びと感謝をして元旦の朝も元気に目覚めてくれたら良しです。
元旦は1年の中で最も孤独感を強く感じる日、国内750万人の独居老人の人達は孤独感を感じるかもしれませんが『生きている』『食えている』それで充分と思えたら、あなたは執着心から来る苦しみから解放され、平安な心で日々過ごせるようになるはずです。
病室に灯る明かり
子供が生まれる時、親が考えるのはひとつ「無事生れてくれ」人間の根底に流れる欲望は「金」「名誉」などでなく『命』、腐敗した政治、40年も続く不景気、インフレ、年金生活者は実質下がり続ける年金、治安も悪くなり今の日本は暮らし難い国に成りましたが、それを嘆いても何も変わりません。
でも幸いな事に戦争はしておらず、自由に発言もできる国ですから汚点を見るよりも、お気楽に自由に生きられる国に住んでる事を意識したほうが精神的にも良く、それを実感できる代表的な場が病院です。
過去のブログにも書いたので読んでくれた方もおられるでしょうが、大晦日午後6時、外は真暗、、大きな病院の近くに行き見上げれば全ての病室の窓が明るいはず、でもその病室におられる患者さんの中には明日をも知れない人がいたり、退院の目途さえ立たない人だっておられるのです。
自分がその立場だったら、病院を外から眺められる人は幸せだと思いませんか?
1956年にペギー葉山が歌った「ケ・セラ・セラ」の歌詞「ケ・セラ・セラ なるようになるわ 先のことなど 判らない~♪」と歌っており、それこそが執着心から解放される呪文の言葉に思える。この曲は僕が2才の時の歌、昔はヒットすれば数年は歌われたので知ってるんだと思う。
『執着を捨てれば楽に生きられる』は誰かに教えられた言葉でなく、家業倒産からの一連の流れの中で湧き出たものですから、僕自身は執着を捨てる方法を知ってますが、大半の人達は「言われてる事は分かるけど執着の捨て方が分からない」と言います。
そこで新年最初のブログは「執着の捨て方」について書こうと思ってます。みなさんが心穏やかな人生を生きる上で少しでも参考になれば幸いだし「一年の計は元旦にあり」と言いますからね(とは言っても書くのは多分3日くらいになると思います)
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