先日ブログで「失敗からの学び」と題して17年経った今でも失敗からの学びがあると書きましたけど、17年間を振り返ると失敗の連続だった気がするし、失敗のひとつひとつが今のスキルの素になってます。
僕が馬鹿なのかもしれませんが『反面教師と失敗は最高の学び』学生時代も含め学業以外で人生に於いて必要な知恵や思考や対処方法は教えられたものでなく痛みを伴って得た教訓だった気がします。
波乱の人生ほど知恵はつく
波乱や不幸だった人生を嘆く人もいますが、齢70にして振り返ると波乱の人生は最高の教科書でした。良く言われる「可愛い子には旅をさせろ」「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」を否応なく体験せざるを得ない状況を与えられたのがラッキーだったようです。
きっと何の障害も無い人生を歩き続けられるほうが良いのでしょうが、自分が壊れたり、自分以外の他人のせいにしない限り、辛さや苦難が強烈なほど精神力は強くなり知恵も使うから、もしかしたら波乱の人生を歩いた人のほうが、IQは高くなるかもしれませんね。
人生の必要悪の発想は間違って無かった
30才を過ぎてからの人生で他人から何度となく言われた言葉に「どんな時でも前向きですよね」がありますが、これも人生経験の中で学んだことのひとつ、家業倒産後は金銭面で頼れる人がいないと自覚すれば、文句や愚痴を言っても無意味ですから『ならどうすれば良い』以外の発想は浮かびません。
転んでも誰も助けてくれる人がいなければ子供が泣かないのと一緒、但しひとつの分岐点があった気はしており、自分ではそれほどと思ってませんでしたが、同窓会で聞かされる中学時代は結構なヤンチャだったようで、そっち系の道の選択肢も確かにありました。
ただ「倒産したから」「何もできない坊ちゃん育ちだから」と言われたく無いし、僕がヤンチャしてたら蒸発した父親が馬鹿にされる気がして、高校生になった時はすでにヤンチャから抜け、キャバレーでしたから褒められるバイトではありませんけど、自分の身体で稼ぐ大変さも教わりました。
母親の存在を知らず育った5年、坊ちゃん生活10年、家業倒産後の10年もあって今の自分がいるのですから、全てが『僕の人生に於ける必要悪』だったと思う自分がいるのと、理由は分かりませんが家業倒産で経営者である父親を始め家族や他人を恨んだことは一度もありません。
流されると諦めるは違う
倒産後に知った事のひとつ『あがいてもどうにも成らない時は流されろ』があります。経験は無いけど例えるなら、水中に落下して真暗で水流があり上下が分らない時は、あがいたり、藻掻いたりせず、全身の力を抜いけば浮力で浮き上がれるのは何となく理解できるでしょう。
人はパニックになると藻掻くものですが、激流に落ちたら上流に向かって泳ぐより、岩に当たらないよう流されながら辿り着ける場所を探したほうが確実、山で遭難すると下に降りようとする人が多いけど、実際は上に登ったほうが助かる可能性が高いのと一緒です。
もっと言えば夜の山中を歩き回るより、体力が温存できる場所を確保して明るくなってから動くほうが生存率が上がるのとも一緒、動きを止めるのは諦めではなく正解を探す手段のひとつ、強烈な流れの時は逆らわず流されてみるのも人生経験の中で学んだことです。
この判断が迅速に出来て休むべし・流されるべし等の行動が出来れば、余分な体力を使わず結果オーライに近づけると経験則で学んでたから失敗を活かせるんだと思う。
今回は具体的で明確な内容でなく漠然としてますが、今回の発想を基本とした「具体的な失敗談」と「どんな対処方法を取り」で「結果がどうなったか」などは次回になります。
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