音楽家、絵画、陶芸、ダンス、スポーツなど身体的能力や特殊能力が左右する才能の事でなく多くの人達が行っていることについてです。
これは僕自身の経験で言わせて貰うと人は「才能がある」「器用だ」「頭がいい」と言ってくれますがどれも正解ではない気がする。
口には出さないけど「変わってる」と思ってる人も結構いるんじゃないかって気はするし14年前地域の業界内ではそんな話しは出てたようです。
ブログもそうで文章力があるならもっと端的に上手に伝える文章を書くだろう。短歌は詠めるけど俳句は難しいと同じ理屈です。
2030年問題にしても団塊の世代が80代に突入するのは誰でも知ってる事だし少子化で年金が下がるのも誰でも分ってることだ。
老夫婦だけの世帯が増えてるのも分ってるし配偶者が死ねば収入が半分になるのも当たり前のこと。
だから「葬式に大金を使ってる場合じゃねぇぞ」って言ってるだけで決して特別な才能ではない。
問題は少額費用で死体処理ができる事実を創り出す事、じゃないと僕の嫌いな評論家と一緒になる。
現実や他者の批判をするのは簡単で誰にでもできる。批判するなら対策を打ち出しその実現に向けて努力するのが『発言の自由の裏にある責任』
ただ結果的に出来る出来ないは別問題「目標達成に向けて動いてるかどうか」で5万円火葬支援は途中で無理だと思った時期もある。
あとは「自分との闘いの連続」誰かに指示された事ではないから自分が諦めた時点で失敗が確定するし諦めなければ成功への過程でしかない。
執筆でも、ホームページやブログサイトの構築でも全ての発想が同じ『他人ができるなら時間は掛かっても自分にできないはずがない』
ようするに『できるまで諦めない心を持ち続ける』だけなのだが何故か人は才能があると評価する。
これは「自分は普通だからできないがあなたは才能があるから出来る」と人を持ち上げる事で自分が劣ってるわけでないとの自己防衛だろう。
でもよく考えて欲しい。その場は自己防衛や回避ができても自分が成長することは絶対にない。
今読んでくれてるブログもそうでHTMLでホームページを作ってきた僕はWordPressへの変更は簡単では無かったし「分からねぇ」の連続でした。
それでも多くの人ができるならと完成させて1か月経たずホームページ、ブログとも全て壊れ回復不可能と分かった時はさすがに意気消沈した。
しかし間髪入れず『創り上がるまで徹夜しても止めない』と決めて3日間で作り上げたのは、すぐなら色々と覚えているからでした。
「諦めない心が才能」と言われたら否定しませんが自分にさえ勝てれば誰にでもできる事です。
才能って「諦めない心」じゃねぇかなぁ
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