無信仰者だから見えるものがある

我想う支援日誌
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葬式と宗教は中々切り離せないものらしいが僕の家族は無信仰だから葬式は宗教儀式ではない。

第一に生前しか出来ない永遠とわの別れを受け入れる為の『葬儀』が大事で『家族との別れ』であり『友人知人等との別れ』の時間である。

第二が逝去後の死体処理としての葬式だが、大事なのは死後でなく『存命中にしか出来ない別れを受け入れる時間』だと考えている。

分り易く言えば『死後に騒ぐ必要はない』騒ぐならどう考えても存命中だ――、

だから僕の葬式に宗教儀式は要らないし家族も、一緒に働く千明も同様に考えているようですからみんな無信仰者なのでしょう。

当初は余裕の無い人達だから直葬をすると思ってましたが間違ってたようで、僕のような考え方をする人達が増えているのは間違いない。

但し信仰を持っている人達がいるのも当然だし、信仰心の強い人は信仰としての葬式をするのも理解できるし違和感はない。

その意味ではどんな信仰でも同じ目線で見るし色メガネで見ることもない。

後で気が向いたら書くが世間的には嫌ってる人が多いだろうある信仰の人達を数年間で何百人と見てきたが大多数は『人として穏やかである』

金銭的に余裕の無い人も多いが人間性だけしか見ない僕は葬儀支援を受けているし、穏やかに生きられるなら信仰としては正解だろうと思う。

一方日本人の多くが行う仏式の葬式だが、残念ながら人として尊敬に値する僧侶は極々少数しか逢った事がなく金の亡者のようである。

但しうちを手伝ってくれてる住職達はお金の事で愚図愚図言う事もなく、当社理念に賛同してくれてる人達で人間性としては素晴らしい人達である事は明記しておきたい。

信仰心のある人は他の信仰は邪道と言うし、問題のある部分だけを大袈裟に捉え誹謗中傷するようだがどんな宗教でも五十歩百歩だろう。

世界最大宗教のキリスト教でさえ過去を紐解けば殺人の歴史さえ垣間見えるわけで、宗教の名前で信者から金を取り続ける宗教はいくらでもあり大半がそれに近いものを感じる。

自分の生活を優先した金を要求する宗教者を信じられるはずがない。

僕が無信仰だから、あんしんサポートは無信仰の組織で、見るのは『個々の人間性』と『人間の死』についても『自然の摂理』と考えています。

だからあんしんサポートには『色』がない。厚い信仰のある人は信仰する宗教儀式をすれば良いし、無信仰なら宗教儀式無用ですから各々の価値観の葬式を手伝うだけです。

あんしんサポートに相談すると良いと言われて来館する人も多いですが、ひとつだけ明言しておきます。

『僕からの発言は残る家族の生活が守れて温かい心で送れる方法のみ』

どんな宗教でも家族の生活を守る道からずれていれば全て否定します。宗教者が何を言おうと絶対に間違っているからです。

また理念・信条。目的に沿わない希望者の(入会・依頼)は受けません。

一般的には偏屈だとか、変人と言われるかもしれませんが、僕の言ってる事と現実の葬式の実態を比較すれば普通の神経を持ってる人なら本当に変なのはどちらか分るでしょう。

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