葬式の仕事をしてよく聞く言葉のひとつに『普通』という単語がある。検索してみると
特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。
》葬式は読経を唱えるのが普通だろう
》子供の面倒は普通母親がみるだろう
》男が外で稼いでくるのは普通だろう
他にもいくらでもあるでしょうが、僕の人生を振り返ると普通とか常識は刻々と変化し続けています。
女性は家事をして子供達や親の世話をするのが当り前の時代から、今では夫婦で稼いで、夫婦で家事の分担や子育ても分担が当然の時代になった。
土葬が当り前の時代から火葬が当り前になった。自宅の葬式が普通から施設での葬式が普通になり、今では火葬だけの葬式(直葬)も普通の時代になった。
この感覚は日常生活の全てに当てはまり極端に言えば『今の常識は未来の非常識』となる事も多い。
一面として日本人の良さでもあるのでしょうが周囲を気にし過ぎる気がします。
今回言いたいのは、この「普通」とか「常識」の言葉に惑わされる必要はありません。他人様に迷惑を掛けないのであれば堂々としていればいい。例えばね・・・
》無信仰者に宗教儀式など無用
》葬式の服装なんて何でもいい
》葬式より残る家族の生活が大事
》価値観の合わない寺は離檀しろ
》金を出さない親戚の意見は無視
》全国民に死後の選択肢あるべき
》無理をしない葬式をすれば良い
》香典返しは要らない半額包め
》火葬中の食事は要らない
》拾骨は家族と呼べる人だけで
書き出せばまだまだあり、これらはあんしんサポートの主張ですが誰にも迷惑は掛けていません。
施主が宗教者を含めた業者の利益を守る義務が無いのは当然だし、葬式の服装については一体誰が迷惑だと言ったのでしょうか?
仕事の途中で来てくれた作業着の会葬者は誰かに迷惑ですか? 仕事中にも関わらずわざわざ会葬に来てくれた感謝が家族の心でしょう。
あんしんサポートは現在言われてる「普通」や「常識」での発想は基本的にしていません。
時代に関係なく葬式を出す家族にとって本当に必要な視点からの発言だけしてきました。当初は僧侶と名乗る人物、葬儀社などからいくつか反応もありました。
しかし視点は絶対に間違ってないと言い続けた今、何も言われませんし、相変わらず会員は増え続けててますし、普通に葬式を続けています。
15年が経過した今、どちらかと言えば当方の歩みに近づいてる葬儀社が増えています。
これは仕事だけの問題でなく夫婦関係、親子関係、職場関係などあらゆる面で言える事です。
そこに関わる人達が納得できるなら無責任な人間の言う「普通」や「常識」から逸脱していると思われる事でも近い将来当り前になる事もあるのです。
そんな言葉に惑わされ自分や家族の歩むべき人生を誤らないで欲しい。
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