タイトルを見ると「お客様は神様です」みたいな印象を受けるかもしれませんが、お客が神様!?なんて思った事は一度もなく、自身を含めお客の立場なった人間ほど利己的で我儘な存在はいないと思っている。お客様と呼んでる商人は多いけど便宜上使ってるだけで芯から「様」なんて思ってる人いるのかなぁ。
時々思うのは閉店セールに群がる人達、時代の流れもあって閉店する百貨店も多いがマスコミがインタビューすると「残念で寂しいです。もっと続けて欲しかった・・・」こんな言葉を聞く度に思う。『あんたらが言葉通り普段から利用してれば閉店なんてしてねぇ』とはいえ利用者がいなければ経営は成り立ちませんから来店者数と事業存続可能な利益は絶対条件です。
『我が店はお客の為にあり』この言葉はスーパー業界にいた20代半ばに生まれたもの、一人のお婆ちゃんがきっかけでした。鮮魚売り場ショーケースの前で考えるような姿のお婆ちゃんを見つけ「どうしたの?」と声を掛けると「うちは3人家族だから1パックじゃ足りないし2パックだと多いからどうしようと思ってね」
当時は2切パックが圧倒的でしたから言われてみれば奇数家族や独居者は困ってたはずですが考えた事すらありませんでした。そこで「ちょっと待ってて」と1パック持って裏に行き1切パックを2つ持ってケースに並べると「これなら助かるわ、だからこの店にきちゃうのよ」と2切パックと1切パックを持って笑顔でレジに向かいました。「だからこの店にきちゃう」この言葉が引っ掛かり、売場、レジ、営業時間などひとつひとつ見直すと色々が見えてきました。
鮮魚、青果、精肉など責任者が替わると売上も変動しますが、売上を上げられない担当者ほど客が悪い、客が理解しないと言うのに対し、売上を上げる担当者から同様の言葉を聞きません。この差はなんだろうと暫く様子を見てるとひとつの結論に達しました。
売り手の感覚で仕入れ、値付け、販売してる売場は利用者が少なく、客の立場で品揃え、価格帯、販売してる売場は利用者が多い、お婆ちゃんの言った「だからこの店きちゃう」は正にこれなのです。なら利用対象者をある程度限定し、その人達が望む価格帯で最高の品質の物を、必要量買える販売にすれば良いのでは? 自分の事を考えてみれば洋服とか靴、食事まで行きつけの店がある――、何故その店に行ってるのだろうと考えると単純明快に回答は出ていました。
『他の店に行くより、その店に行ったほうが自分が得したり納得できるからです』なら店側は売り手の我々がどう思うかでなく『お客が喜ぶ店を造ればいい』分らなければお客に聞けば良いんだと言葉にしたのが『我が店はお客の為にあり』です。
お婆ちゃんの言葉は――、して欲しい事をサッとその場でしてくれる迅速な利便性「だからこの店きちゃう」なんだと納得、この考え方は50年後の今、葬儀支援センターにも同様に引き継がれています。経営者に特別な能力は無くても、決断力と行動力と持続力さえあればちょっとした繁盛店は誰にでも作れる――、繁盛店で無いとしたら今の立ち位置を確認されると良いかもしれません。
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