『無信仰者の葬式参考書』にも書いてますが葬式ほど「まことしやかな嘘」が堂々と語られる場はありません。
日本は資本主義国家では珍しく63%が無信仰者であると言われ、僕自身も無信仰だし入会相談に来られる90%は無信仰と明言します。
少なくとも半数以上が無信仰であるにも拘わらず『葬式=宗教儀式』が当然の如く常識化してる現実は理解できません。
不特定多数対象なら63%が無信仰である前提で語るべき
葬式関連のブログ、広告宣伝、動画を改めて確認すれば分りますが「葬式=宗教儀式」の発想でなければしない発言ばかりです。
書いたり、発言してる本人が信仰のある人なら『自分は信仰がある』と明言した上での発言をすべき、でなければ世論誘導してる事になる。
僕自身が無信仰者だから、無信仰者の価値観をそのまま発信してるに過ぎません。簡単に言うと僕には信仰のある人の事は理解できないんです。
逆を言えば信仰のある人からすれば無信仰者は理解できないでしょう。
ただ不思議なのは他の信仰の人を邪道だと言う姿勢、自分の信仰が否定されたら「嫌」なんだろうから他の信仰を否定する必要はないのでは!?
他信仰、無信仰は「お好きにどうぞ」が最適な姿勢ではないでしょうか。
ネット発信してる本人自体が人生で誘導されてきた結果かもしれませんけど、読む側、聞く側は「ネット記事 ≠(ノットイコール)正しい」である事を理解した上で読んだり聞いたりする事を強く勧めます。
もっと言うと葬式=仏教式の発想が多いのは構いませんけど、それが日本の常識であり当り前のような発言には問題があります。
信仰の自由な日本では『仏教』『神道』『キリスト教』『他宗教』そして『無信仰』全ての選択肢があって当然、だから仏教作法を当然のように言われても無信仰者にとっては戯言でしかないと理解した上で発言すべきです。
再度言いますが、この記事を読んだあとで普段見てる葬式関連記事を読み直してみれば『葬式=宗教儀式』が前提であると分るでしょう。
『葬式 = 宗教儀式』は常識でも、普通でも、当たり前でもありません。
自分の偏りに気付かない発言の葬儀社
葬儀社(各担当者)が信仰を持つのは自由ですが、相談者に自分の思考を押し付けるのは間違いだと気付くべきです。
過去に葬式経験のある相談者によると「葬式で線香が無いなど在り得ません」これに類似した発言をする葬儀社はとにかく多いらしいが「それ仏教なっ!」と言われて当然の発言です。
最も「神道」「キリスト教」「創価学会」等々明確な信仰を伝えれば、そんな馬鹿げた発言はしないでしょうが「無信仰」と聞くと「仏教式」を当然のように言う傾向があるように感じます。
無信仰とは信仰する宗教は無いと言ってるのだから、その人に宗教儀式を提案するのは「お馬鹿なの!?」と思われても当然です。
聞けば良いんだよ
葬式は宗旨は勿論、同じ宗旨でも地域が違えば全く別の葬式になり、同じ宗旨でも宗派が違えば違うし、同じ宗派でも導師が違えば違うんです。
葬式の全てを正確に把握してる人などいません。言い換えれば『自由』にできるし、してるのが葬式の実態です。
だから「あなたはどうしたいですか!?」と聞けば良いだけの事、無信仰でも線香は供えたい。坊さんに読経して欲しい、戒名を付けてあげたい。
或いはアメージンググレース(讃美歌)の合唱で火葬の時は送りたい。と言えば歌わせてあげれば良いし、してあげれば良い。それが葬儀社なはずです。
葬儀社は家族に代わって葬式代行する事業であるはず、にも関わらず実態は宗教者の意に沿って葬式する事業になってる事に気付くべきです
自社では出来ない事は「出来ません」と言えば良く、依頼するしないは相談者が決め、受ける受けないは業者が決める事なんです。
お互いに納得すればしたい葬式ができる。そこには家族の意に沿わない宗教儀式に縛られる事のない『家族が納得して送れる葬式』があるだけです。
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