》自宅で手元供養が最善策
昔は死体を直接、或いは「座棺」と呼ばれる円形の桶に座った状態で入れ土葬した事から土葬した場所を『墓』と称したわけです。
宗教により死体や遺骨(焼骨)の考え方は全く違いますが、日本の現行を基準にすると火葬後の焼骨をどうするかという事になります。
『焼骨を入れる為の場所』
骨壺に入れた状態で納骨する地域と焼骨のみをカロートに入れる地域がありますが、いずれも焼骨を入れる場所としての墓という考え方です。
『故人を思い出す為の場所』
個人的には、こちらのほうが意味があると思っています。
正直なところ『墓は要らない』が本音でいくつかの明確な理由がありますので下記に記載しますが、墓で唯一良いと思えるのがこれです。
僕の場合、子供の頃お婆ちゃんに連れられて良く墓参りに行きました。小さな子供ですから何かする度に「なんで」「どうして」と聞いたのでしょう。
当時は個々に違う場所に埋葬されており「これは誰々だよ」と聞かされると「それって誰なの?」と聞いたようですが、それが良い点です。
自分には沢山の先祖がいて『直系の先祖が一人でも居なかったら自分は存在してない』という事を伝えるには最適な場所です。
『墓は要らない理由』
少子化で墓守不在の家庭が多く、墓を建てる費用だけでなく、墓閉じにも費用が必要であるし墓参りはいつか必ず行けなくなる。
なら墓でなく自宅で手元供養(少量)するほうがいつまでも手を合わせられます。超少子化の日本に於いて墓の存在は不要と言っても過言ではない。
但し先祖について話すのは良い事だから『新たな発想』が必要な時代になったと言えるでしょう。その前提が手元供養です。
あんしんサポートの『永代供養散骨』の考え方を参考にされると良いでしょう。
それと何百も墓を見て思う。次回『⑰ 墓の現実を知ってる!?』です。
自分という人間が今あるのは、数えきれないほどの先祖がいての自分であり、その確率は天文学的な数字で宝くじの比ではない。
あなたは選ばれし者だから自分の命を粗末にすることなく、また他人の命も同様で軽んずる事なく互いに認め合って生きること。
与えられた人生を卑下する事なく、奢ることなく、偉くなる必要もなければ、立派になる必要もないが自分なりに精一杯謳歌すること。
そして、できれば先祖が積み上げて来た道を途絶えさせる事なく未来に繋いで欲しいこと。
墓で「おにぎり」でも食べながらこんな話しをするには最適な場所だと思う。