対象者の望みを叶えられるのは家族だけ

日々の「我想う」
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葬儀屋さんは逝去後の連絡が普通だから、死体処理と死後の弔いしか考えられないだろうけど、あんしんサポートは事前入会が必須なので、存命中、それも意思の疎通ができる段階での来館が多く、事前相談の中で時々言う言葉があります。

「大事なのは死後じゃなく今だよ」
「医者は生かす事が仕事、誤嚥性肺炎が怖いから食べさせないし、水さえ飲ませてくれないけど」
「こんな事なら、水を欲しがってたんだから飲ませてあげれば良かった」
「この言葉を何人の家族から聞いたか分からない――、」
「水を飲まず1日生き延びるより、対象者の願いを聞いてあげたほうが絶対に後悔は残らない」
「だから食べたい物があるなら死んでも良いから食べさせてあげる」
「行きたい場所があるなら、途中で死んでも良いから連れて行ってあげる」
「外に連れ出す、これは家族にしか出来ないし、家族だからできる最高のプレゼントだよ」
「自宅でも、病院でも、いつも同じ景色の中で暮らしてたら誰だって気が滅入るよね」
「行きたい場所があっても、自分から連れて行ってとは言い難い――、もんですよ」
「気晴らしにも成るし、思い残すことも無くなる」
「その意味で騒ぐなら生きてる時、連れて行く手助けをした家族にとっては葬式だよね」
「こんな葬式って良いと思わない――、家族にとっても最高の思い出になると思うんだよね」
「死んでから騒ぐ必要は無いと思ってる」

この話しを聞いて気づく家族もいれば、聞き流しちゃう家族もいるし、行きたい所に連れて行ってあげたいけど、自分だけではどうにも成らないと諦めてしまう人もいるでしょう。最近では医療に於いても治療ではなく『最後をどう生きるか』と看取り専門の医師もいますが、僕の知る限り自宅か施設だけの対応じゃないかなぁ、その意味では緩和ケアは、その部類だろうけど・・・

この話しをした家族の反応を見ると時々思うんだよね。
言われてる事は分るし、自分でもそう思うけど、実行するとなると大変だし、自分だけではどうにもならないし、かといって手伝ってくれる人もいない・・・これって家族間でも難しいみたい。自分は時間があるけど、子供達や孫達は仕事もあるし、迷惑を掛けられないって思うんだね。

あんしんサポート開設から数年間は、存命中に故人が望んでた行きたい場所、家族が連れて行きたい場所に行ってたんですよ。一番遠くは幼馴染の父親が東武電車の車掌さんだったからだろうけどスカイツリーを見に行きたいと言ってたと聞き、逝去した日の夜、お父さんの棺と幼馴染を乗せて東京まで行き、駐車禁止のスカイツリー真下まで行くと警備の人が走ってきました。霊柩車が停車すれば驚いて当然「どうされたんですか?」「実は棺の中には東武で車掌をしてた故人が入ってますが、一度スカイツリーが見たいと言ってたので群馬県前橋から来ました。写真を撮ったらすぐに移動しますから――、すると「分りました。慌てなくていいですよ」と快く写真を撮らせてくれました。

また桜の咲いてる時期に亡くなった人達の中で「花見に行きたい」と言ってた故人の棺を乗せて桜の咲いてる場所に一旦駐車してから火葬場に向かった事は何度もあります。自宅に帰りたいと言ってた故人を一旦自宅の中に連れて行ってから、あんしん館に向かった人もいます。勿論全て無料でしてきました。ただ施行数が増え、一日に数件の依頼が入る日も出てくると、それをしてあげられる人もいれば、出来ない人も出てきて不公平な状況になって全て廃止しました。

そんな家族と逢うと10年経っても、その時の事を感謝してくれるほどです。だから、我々がその『最後の孝行』『最後のプレゼント』の、お手伝いまで出来たら、本当の意味で葬儀支援なんだろうな――、って思うわけです。但しそれには、いくつかの壁があり、その壁をクリアしないと無責任だとバッシングは必至だし、当然なことでもあります。

1. 対象者を寝たまま運べるストレッチャーが乗る車が必要(霊柩車と遺体用具は使えない)
2. もしもの時に緊急対応できる医師や看護師等の同乗や、医療との連携も必須
3. そして可能な限り低料金で実行を可能とする方法(本当なら無料でしてあげたい事)

今回の目線ひとつを捉えても、最後の自宅前を通るレベルは別として、存命中の人を連れて行くという発想は葬儀屋さんには無いはずです。これが葬儀支援と葬儀屋の立ち位置の違いなんです。死後だけの対応をする葬儀屋さんには見えず、存命中から相談するから見える事でもあります。

正直、料金体系は究極まで行き着いた感がありますけど、葬儀支援は、まだまだすべき事がある。きっと葬儀支援を続けてるうちは、いくらでも湧き出てくるものなんでしょうね。

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