安かろう悪かろうでは葬儀支援にならない
2,000施行の経験則から高齢者が逝去する際に心配するのは自分の葬式でなく、後に残す配偶者や家族の生活である事から、葬儀支援の最大目的は「残る家族の生活が守れる葬式」であり、それ以上の供養は無いとの信念から「低料金」で且つ「温かく送る」事が最優先されます。
温かく送るとは残る家族の心情ですから、質素で粗悪品使用の葬式では温かい心の維持はできません。されど高品質品=高額ですから、高品質でありながら低料金化を図るには仕入れ価格は勿論、諸費用を抑え、利益を抑える以外の方法はありません。
根本的に無理な発想ではありますが、この矛盾する感覚は皆さんが思ってる以上に葬儀支援に於いては大切な要素で、お金の問題だけでなく様々な場面で大きな影響が出るため、この基本姿勢が欠けてたら家族目線での葬儀支援には成らないのです。
ハード面で出る違い例
ソフト面で出る違い例
総合的に出る違い
ハード面、ソフト面で違いからほんの一例を挙げましたが『基本姿勢の違いは葬式全ての場面で違う』という事ですから、葬式そのものが大きく異なると思って間違いありません。
単に料金が高い安いの問題ではないんです。この点は僕に近い発想をする葬儀社の人達でも意識しない限り一般葬儀社に近い発想や言動になってしまうでしょう
蟻の穴から堤崩れる
堤防が崩れるきっかけが小さな蟻の穴であるという例えですが、葬儀支援の先人はいませんので、自分は葬儀社とは異なる存在として葬儀支援したいと思って始めた人、始める人もいらっしゃるでしょうが、初志貫徹は決して簡単でなく自分でも気付かないうちに葬儀社に近い感覚になってるものです。
実践例として僕は「寸志・心付」は一切受け取りません。葬儀支援をして自分は寸志を受け取ってたのでは本末転倒だからと葬式に於ける寸志の習慣を良しとしないからです。
「一度出したものは――、」と押し引きするのも嫌ですから「渡すなら帯の掛かった束、できれば十文字の束なら受け取るけどそれ以下は要らない」と言います。大抵の場合は笑って終わります。
これは家族うんぬんより自分の初志を守り貫く為の手段、16年間同じ姿勢を貫いた結果として5,000名~の会員となり、7年間広告宣伝は一切せず、紹介無用と公言してるにも拘わらず毎年200人以上の会員が増え続けてるのは葬儀支援内容に賛同する人達が多いからでしょう。
「一念岩をも通す」
あんしんサポートの場合は何十回もの新聞記事、8分30秒のNHK全国放送、NPOや市会議員、各施設等からの依頼になる講演会などを始めとして公言する場が多かった事が幸いしてるようです。
葬式施行の度、機会ある毎、ブログ等で理念、信条、目的などを公言し続ける事で「想い」<「強い思い」<「信念」へと変化していくような気がしてます。
皆さんも「一念発起」したら「一念岩をも通す」を実践されると良いですよ、僕が始めた葬儀支援は当初「絶対できない続かない」と言われましたが、16年後の今も継続し増やそうと思わなくても会員数は増え続けてるのですから、あなたの想いが世間で必要とされるなら、あとはあなた次第だと思います。
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