主に配偶者、両親、祖父母の葬式で式場や火葬炉前で毎回のように話すひとつに「供養とはなんぞや」があります。初めて文章に起こしますのでじっくり読んで貰えれば供養の真髄が見えるでしょう。
皆さんが良く使う言葉のひとつに「供養」がありますがハッキリ言います。大半は供養を間違って捉えてますよというお話しです。
僧侶の読経や戒名授与は宗教儀式の供養で家族の供養ではありません。また豪華な花祭壇や派手な葬式が供養でもありません。
では聞きますが、あつい信仰を持っておられる方はいますか?
この設問に「はい」と手を挙げる人は殆どなく「信仰心はありますか?」と問えば「ありません」と明確な回答が返ってきます。
稀にキリスト教であつい信仰を持つ方はいらっしゃいますが、仏教、神道に於いては大半がなんちゃって信仰レベル、なのに葬式はお坊さんが読経するものという思い込みだけで宗教儀式をしてる家族が大半なのに驚きます。
ね、あつい信仰心があるなら信仰に沿った宗教儀式をすれば良いと思いますが、信仰心も無いのに謝礼50万円は高過ぎませんか!? 更に読経が有難いですか? 高額な戒名が欲しいですか?
大半の人達、特に若い世代は大きく頷き戒名は要らないと言います
では「供養ってなんでしょう」と考えると実は簡単なんです。供養の基本は「故人を忘れない事、時々で良いから思い出してあげる事」が供養の基本です。
極論を言えば墓参りが大事な訳じゃありません。墓は焼骨を保管してある場所ではありますが、それ以上でも、それ以下でもなく墓参りは故人を思い出したから行く――、行動の前に『思い出す』という現象が必ずあります。
この段階で「供養」はできてるのですが、それを自分が納得する為の行為が墓参りでしょう。思い出した時に目を閉じて手を合わせたり、心の中で故人に言葉を掛けるだけで充分です。
もっと言えば、供養は遠方に住んでも、海外に住んでも出来るんです。故人を思い出したら「心配してくれてありがとう。元気だから心配ないよ」と心の中で呟けばいいんです。
千数百件の葬式を担当した僕の知る限り、自分の葬式がどうなるか心配しながら死んだと聞かされた事はありません。あなたが故人なら何が心配ですか?
あなた同様で後に残す配偶者や家族の事が心配、それが愛する配偶者や家族を残して逝く多くの人達の心残りであり親心です。
「供養」の基本は『故人を忘れない事』が理解頂けたでしょうか、次に配偶者や両親や祖父母が故人なら『最高の供養』がひとつだけあり故人の思う家族にしかできません。
次回『「中編」最高の供養とは』です。
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