後悔したくなければ存命中が大事

日々の「我想う」
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前回ブログの続きというか、前段のような話しですが――、
「〇〇病院で母が逝去したので迎えに来てください」突然、何の前触れもなく、非会員さんから依頼の電話が、今月はすでに5件になりました。当然、お受けしませんが、逝去してから葬儀屋を探す――、これが当り前のことなのでしょうか? 葬式が起きたら、費用は、内容は、突然で受けて貰えるだろうかと事前相談で来館する家族を見続けている僕には理解できない流れであり、信じられない行動としか思えません。

もしこれが当り前だとしたら、葬式した家族が言う「あんなに高いと思わなかった」の言葉を発するのも理解できません。綺麗ごと抜きの本音で言えば「事前に何もしなかった自分の責任!」としか言いようがなく同情心も湧いてきません。

普通に考えれば当り前なのは誰でも分ることだし、葬儀屋は高い! こんな言葉なら何処に行っても聞こえてくるでしょう。ずっと日本に住んでる人で葬儀が高い、寺の布施が高いという話しを聞いた事が無い――、そんな人はいないでしょう。
にも関わらず事前に一切確認しないんですから自業自得だし、葬儀屋から見れば鴨が葱背負って、手には玉子3個持ってるくらい美味しい人と思われても仕方ない人です。

だって見積もりもせず、式場も見ず、使用する葬具や内容も知らず、担当者も見た事さえないのに依頼するって凄くないですか? そりゃあ若い人が突然倒れたなら理解もできますが、80代、90代の親の逝去で、こんなに早く逝くとは思って無かったと聞くと「はぁ!?」と思うわけです。

まぁ、適当な葬儀屋なら、こんな人のほうが吹っ掛けられるし、楽かもしれませんが、うちみたいに『家族目線』で『残る家族の生活最優先』と宣言してる所では受けないというか、受けられないでしょう。

それと「まだ死んでも無いのに死んだあとの話しか!」とそれが当り前のように言う人もいますが、よほど金があるか、何も深く考えないお馬鹿さんにしか見えません。

声を大にしてハッキリ言います。
大事なのは死後でなく、存命中にしか出来ない対策、対処、手続きなんです。
今まで1.000人以上の故人を見てきましたが、死後に騒いだ故人は一人もいませんが、死後に後悔した家族は沢山見てきたし、葬式で後悔した話しも沢山聞かされました。

ただ、これに気づいたのは最近なんです。
14年間も続けていると3回、4回、5回と葬式をする家族が増え、回数を重ねる度に家族がする話題も変化します。初めての葬式では本音だけでなく建前や真意ではないことも言いますが、4回、5回になると家族間の本当の関係までためらう事なく話してくれるようになるものです。その中には過去の葬式でした後悔も出てきます。

そしてようやく分ったのは――、
『後悔に繋がる大半は、生前で無ければ対処できない事』なんです。

生前しておくべきだった事をしないまま終幕を迎えた事で起きる様々なトラブル――、こうしておけば良かったでは後の祭りなんです。
まずは我が家で誰が亡くなったら問題が発生しそうかの確認から、ただ皆さん勘違いしているのか『人の死は年齢順とは限りません。若いと死なない訳でもありません』

まずは誰が死んだら、何が起こるか、一人ひとりの家族全員のケースを客観的に考えてみたり、我々のような死後の家族を沢山見てきた人に相談されては如何でしょう。

日本にはいくつもの同類のことわざがあります。
『転ばぬ先の杖』『備えあれば憂いなし』『段取り八部』『濡れぬ先の傘』ほかにも色々ありますが、最近の相談の多くは、早く来て良かったとつくづく感じます。

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