合同盆法要に想う

我想う支援日誌
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月日つきひの流れは速い

会員さん達からの要望で始まった合同盆法要も早いもので11年目、故人1名に付5,000円もあってか、毎年恒例行事にされてる家族も多く、今は6回で(40分間隔)執り行っており、1年振りで顔を合わせるとお互い様ながら月日の流れを感じるものです。

喪主を務めた十数年前はハツラツとしてた中年の人の腰が曲がり、自身の終幕を意識する老人となってる姿を見ると老いは留まることなく着実に進行し続けてると実感、僕に関しては65才を過ぎてから自分の終幕に関しての意識ステージが上がってる気がしてます。

また葬儀支援をする側の人間が体力的に心配されるようになったら終わりですから、実年齢は老人でも見た目や印象は、せめて60代前半と思われるか、意識させない言動の維持をし続けなければとも思う。

盆の良い点

僕自身は無信仰者ですから宗教的な発想や思考はどうでも良いのですが「盆」のいい所は祖父母、両親、兄弟姉妹、親族など亡くなった人達全員を対象としてる点、幼少期と倒産後に世話してくれた祖父母、昔は商才のある祖母がメインでしたが、今は黙って仕事に行き金銭面を賄ってくれてた祖父の優しいさも実感してます。

一緒に過ごしたのが10年間だけだからか、当時から母親とは何となく反りが合いませんでしたが、思い出すのは笑顔が多く、父親は怒れば怖いけど優しくて頼りになる人だった記憶が強く、46才で逝った姉は家族の中では一番近い存在だったと思うし、幼稚園等の遠足で着いてきてくれた叔母も時々思い出します。

今の自分があるのは、祖父母、両親は勿論のこと、様々な人達との繋がりの上にあると思うと感慨深く、もっとこうしておけば良かった的な後悔も湧きますが、後悔先に立たず――、せめて自分が生きてる間は時々思い出すことが供養だと思いますから、その意味で「盆」はいい機会だと思う。

家族全員が一堂に会するのは正月・盆が多いでしょうから、自分の両親や祖父母の事を話しながら子供や孫達も同様であること、自分が生れる確率は天文学的な確率であること、だからこそ自分の命を粗末にすることの無いよう例えたり、辛く大変な時期があっても辛抱すれば道は必ず開ける事など伝えるにも最適な時です。

自分の終幕を先祖から考察してみる

我が家の家系で姉は46才、叔父は50才、2人とも胃癌で亡くなり、父親は確か74才だから、母親以外は祖父母も含め70代での終幕が多いことから、今年の11月で70才を迎える身ととしては決して遠くない未来での終幕は否が応にも意識させられ後悔の種はひとつひとつ潰しておくつもりです。

終幕というか動けるうちにする事一覧

「1」72才の4月で金婚式だから、家族でハワイに行き、帰りは結婚式したグァム教会にも行き、50年間を振り返ったり感謝の気持ちを嫁さんに伝え労いたい、一般的に女性のほうが長生きだから老後の生活費も可能な限り残してあげたいとも思ってる。

「1-2」遺言書を書いて法務局に預けておくつもり、口座のある銀行名、通帳の暗証番号、不動産名義変更、そして僕の葬式は家族だけの『ぱっく60(直葬+散骨)』としっかり明記しておき、更に何か思いつけば全て遺言書に明記することで残る家族が迷わない方法を記載します。

「2」あんしんサポートは千明が現役で動けるうちは問題ないだろうから、人手ひとでさえあれば支援活動ができるような指針を作っておく必要はあるが、すでに引き継ぎも始まってるので、そのまま継続すれば千明の生活も守れるだろうと思うから、2040年代以降の近未来に置ける指針を話しておくつもりです。

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