》坊さん、あんた死んだ事あるの
2021年の今から10年以上前のことお婆ちゃんが亡くったと連絡があり、自宅に連れて帰ると商売屋で寝かせる場所もなく皆で片づけていた。
ようやく場所を確保して布団に寝かせ終えた頃、菩提寺住職が来て勝手にお経の準備を始めた。
家族は予想外の流れに「枕教は要らない」「通夜はしない」「戒名はお爺さんより安いので言い」と伝えたようです。
突然大声で「供養しないのか!読経して戒名を付けねば故人は浮かばれないぞ」と怒鳴り声が聞こえ家族は黙ってしまったようだ。
読経、戒名が低料金なら理解もできるが坊さんは何の権利があって高額な布施を脅迫するのかと怒りが込み上げたのを覚えている。
我々に対しては「弓は無いのか」と言われたが「ない」と答えたが自分勝手にもほどがある。
その爺さん住職も何年も前に亡くなったと聞いているが「どうだ浮かばれたか!?」と聞いてみたい。
信仰とは本来生きる指針で人生には必ず終幕があるから葬式はするが葬式がメインの宗教などない。
この住職の発言は『葬式の仕方で死後が決まる』と言ってるのだから生前の生き方や生き様は関係ないと言ってるようなものだ。
よく考えれば宗教者が言ってはならん発言だがきっと何も考えずに出た発言だろう。
この住職の見解を冷静に分析すれば『仏教徒には仏教徒のあの世があり』神道、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教にもそれぞれのあの世がある事になる。
更に言えば『無信仰者のあの世が無ければ話しの辻褄が合わない』ことになる訳でこんな話しを誰が納得できるだろうか
もっと言えば「読経の意味が分かっている家族などいない」時々お経の説明をする僧侶もいるが漢字の説明は理解に苦しむ。
お経とはサンスクリット語等の音に漢字を当てはめたもので漢字の意味が本来の経と全く同じ意味にはならないだろう。
極論で言えば暴走族の『夜露死苦』にも近いものだ。
僕自身は無信仰だからどんな宗教でも色メガネで見ることはなく仏教の教えや用語の中には『なるほどぉ』と納得する事も多く仏教を否定しているのではない
伝道者であるべき僧侶の実態『宗教者としての在り方を否定しているのです』
損得抜きで言ってる言葉なら聞く価値はあるが偉そうに言う言葉の後ろに『高額な費用』が着いてくるから納得などできない。
宗教者に言いたい『あなたは周囲の人達から尊敬される言動をしていますか?』
脅かすのではなく信者や周囲の人達が人間性を高く評価する言動をしていれば黙っていても人(檀家)は集まってくるはずだ。
多分、昔の僧侶は尊敬に値する人達が沢山おられたのだろうが、時代の流れで僧侶の学校が出来たことで職業化した結果が今なのだろう。
本来宗教は学校で学ぶものでなく素養のある人が宗教家の道を歩むのが本来の姿だと思う。
⑨ 読経・戒名で浮かばれる!?
この記事は約2分で読めます。