心穏やかに生きてる人達

我想う支援日誌
この記事は約4分で読めます。

正確に覚えてませんが葬儀支援センター設立2年目くらいでしょうか、父親の葬式は直葬だけして欲しいと穏やかなで控えめな口調で相談に来られた信仰心のある初老の女性が最初の出逢いでした。

その日を起点に同じ信仰の仲間を送る手伝いを100人以上してきましたが、殆どの人達が『穏やかに生きてる』印象があり、初めの頃は穏やかな人達が集まってる宗教?と思ったほどです。

しかし、最後のお別れに来られる人達も同様、入会相談に来られる人達も同様ですから、信仰が穏やかにしている最大要素だと分ってくると詳細は分かりませんが、信仰とは本来『生きる為の指針』ですから、信仰のあるべき姿としては間違って無い気がするのです。

宗教の宣伝ではありません

ここで明確に伝えておくと『宗教の宣伝ではありません』祖父は仏教、祖母は創価学会、通ってた保育園がカトリック、無信仰の父親とバラバラだったから培わつちかれたのか僕自身は無信仰者、どんな宗教でも最初から色メガネで見ることも無いけど誘われても感化される事もありません。

その信仰、世間からの評価は決して良くないし記事も悪評が多い宗教、けど少なくとも僕が直接話しをしてきた数百人以上の信者から受ける印象とは違うから、記事より自分の目と心を信じる。

どんな宗教も教えは立派、だけど実態は首を傾げたくなる宗教も多い、特に寄進、寄付と称して多額の「金」を渡す=信仰心の強さ的な宗教は胡散臭いと直接言うのが武井という人間、その人達にも違和感があれば、そのまま伝えますけど直接だからか険悪になった記憶は殆どない。

きっと大多数は思っても言わないでしょうが、部外者の真意を知らなければ向上しないのは葬儀支援も同様、わだかまりを溜めれば、いつか不信感にも繋がるから溜めず吐き出すのも自分の心を守る事になり、双方が本音を語れなければ、その家族にとって必要な支援などできない。

暫く理由が分かりませんでした

高度経済成長を経験した日本人がバブル崩壊後とはいえ平成、令和の時代に金銭面で余裕の無い状態で心穏やかに生きられるでしょうか? 夫婦喧嘩の8割は金銭絡みと言われる時代に食べるのが精一杯に思える財布事情でも、笑顔で話し、穏やかな態度で接し続けられるでしょうか、、

大半の信者が穏やかな宗教など聞いたこともありませんから、正直なところ何年も、、嫌、、10年近くその理由は分かりませんでしたが、あんしんサポート葬儀支援センターを設立して10年が過ぎた頃、その理由が少しづつでしたが何となく分ってきました。

心の豊かさが穏やかにしてくれる

葬儀支援事業は僕の葬儀屋嫌いも災い? 幸い? してか、30代で年収1千万円以上だった男が半世紀も時代を遡ったさかのぼような役員報酬しかなく、昼夜、深夜、早朝問わず365日拘束される仕事、逆を言えば金を使う時間もありませんから普通に食える生活費さえあれば問題ありません。

それよりも家族が支援事業の仕事を理解し支えてくれ、働く仲間がストレスを溜めず信頼に足る人物で、周囲の人達も同様に協力してくれ、会員さん達に感謝され、健康を気遣ってくれ、生き甲斐を感じさせてくれ、いつまでも続けて欲しいと言ってくれる。

内外問わず人の温もりが実感できるからか、こんな僕でも損得は抜きにした優しい心で接する事のできる慈愛にも似た心が湧き出るから、人の心は本来純白で周囲の色に染まるのかもしれません。だとすれば穏やかな心は自分だけで得られるものでなく、周囲の人達の温もりを感じる事から得られるようです。

僕は葬儀支援を通して教えられましたが人それぞれの人生で様々な知る方法があるのでしょう。同じ信仰の仲間達が助け合い、労わり合い、励まし合い、支え合う中で生まれる優しさや心のゆとりが、他人に対する穏やかさに写るのだろうと思う。

独居老人750万人の日本、昭和初期の日本には普通にあった「お醤油貸してくれる」的な『お互い様の心』ちょっとお節介な社会だけど、それを思い出す必要があり、その心を知るのは若くても60代後半ですから、その人達が生活の中で実践する事で若い世代にも必要性を伝えられるのではないでしょうか。

直接ではありませんが思い出させてくれた人達ですから、信仰に関心はありませんが、その心を広げる事は間違ってない、伝わる人達は必ずいるという意味でも必要な家族への手を差し伸べ続けたい。

コメント