我想う支援日誌

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余命宣告について明確にしておく

実姉の死を見ているからか、恐怖心との闘いは辛いだろうけど別れの時間を過ごしたり家族や仕事の今後を話せたほうが悔いは少ないと思うので『宣告して欲しい』皆さん自身もその辺りは明言しておかないと家族が自分と違う判断をする事もあり得るのです。
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認知症は最後の特効薬かもしれない

誰でも認知症になりたくないと思ってるでしょうが「長寿である」という条件下なら一概に悪いとは言えない気がします。認知症の「忘れる」症状は死を目前にした人の持つ死の恐怖を最小限に抑える効果が得られる気がするからです。病気なのでしょうが長寿時代の進化では!?
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当り前の幸せを再認識

幸せの根底にあるのは人が当り前だと思ってる事が大前提のようです。それを利己的思考で破壊するのが人間の「業」なのでしょうが、我々庶民は自分の健康管理をし家族関係を良好にし、更には職場の人間関係を良好に維持することに徹して過ごしましょう。
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葬式関連の疑問とあるべき姿『20』

今回に限り「20項目を順次リンク」します。
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片道45分の公営墓地内にある墓探し

2時間も事前相談すると家族にとって必要な事が見えてくるからアドバイスを始めると余分な事までする羽目になる。タクシーで来てくれた人を乗せて行くのも日常茶飯事で費用の発生しないケースがとにかく多く利口ではないが葬儀支援を行うには必須の感覚ではある。
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菩提寺の葬式を受けない理由

多分皆さんが思ってる以上に現在の内容での料金設定は簡単ではないと思います。日本全国の葬儀社のホームページで詳細を見れば『国内無二の存在』なのが分るでしょう。基本が家族目線ですから宗教者は関係ありません。まして日本人の80%は無信仰なのですから――、
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執着を捨てれば人は楽に生きられる

頑張ったからと必ず成功するわけでなく、成功したからと楽しいとは限らないのが僕自身が経験し感じた人生。今は頑張りもせず、無理もせず、それでも紹介で来る人達は毎月10数人以上はいる。頑張る時期は当然あって然るべきだけど、楽に生きるギアチェンジも必要だと思う。
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「余命宣告」について考えてみた

余命宣告を受けてる人達は沢山いる。勿論医師の判断が全て正確な訳ではないしあてに成らない現実も沢山見ている。でも自分の人生なのだから最後まで自分の意思で自分なりに精一杯生きるべきだし、それが家族にとってもベターだと思っている。例えば俺なら――、
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葬儀支援の最大かつ最終目的

葬儀支援の目的は葬式を施行することではない「葬式とはなんぞや」葬儀葬式の概念を変革させ既存の葬式に違和感を感じる人達が当り前に自分の思う葬式ができる世の中に近づけること、言葉だけでは説得力がないから人の死に関わる全てに低料金で対処してるに過ぎない
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「死」の相談は50代、出来れば60代な気がする

60代、70代、80代の人生経験豊富な人達が本気で本音で「死」について相談できるのは完全な大人であり、尚且つ老人を感じさせない極々限られた人なのかもしれないと息子と話して感じた。僕の場合年齢的には充分だからジジイだと思われたら相談は難しいだろう。
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Believe in yourself(自分を信じて)

簡単で難しく、難しいようで簡単なのは『自分を信じることだろう』この点については結果より「疑わない」「信じ切る」ことが大事だと思っている。そう考えると無信仰者の僕でも信仰の強さは何となく分る気がする。
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見習いたい人生の閉じ方

エンディングノートの誕生で人生の幕引き計画を立てる人は沢山おられるでしょうが、「なるほどぉ」と納得した経験はありませんでした。ところがエンディングノートなど書いてなくても見事な幕引きをされた故人の話しです。
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サラリーマンでなくて良かった

66才にもなると同級生を見てジジイだなぁと思うようになる。冷静に考えれば自分も同じなのだがジジイを意識されない生き方は可能だ。今の生活は仕事柄不規則極まりないが自分の意思ではどうにもならず相手次第の仕事が老けなくて良いのかもしれない。
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人の死について一か所で相談できる場所がない

人の死にまつわるあらゆる相談ができる場所はない。何故だろうと考えてみると単純明快だった。葬式(死体処理)ができないからです。そう考えると葬儀支援は葬儀屋しかできないのかもしれない。但し第三セクターを作れば行政として関われると思うが・・・
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葬儀屋が誤魔化せるポイント

堂々と誤魔化せるポイントは2つですが対策はありますのでしっかり読んで事前対応して欲しい。また葬儀屋は霊感商法と誘導商法が基本なのに葬儀屋自体は気づいてない人も多い気がするし、自分よりあくどい葬儀屋との比較で自分を納得させてる葬儀屋も多い。
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詳細を書く葬儀屋は皆無の不思議

一般の人達から見て葬式くらい何をどうしたら良いか分らない事はそうそうないだろう。それで通用させてきた業界も大したもんだと思うけど霊感商法の強さなんだろう。しかし弱者が増え続ける今、そのまま放っておく訳にはいかない。業界が向上するきっかけでもある。
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タバコを止めた理由

健康の為にタバコを止めると言うが、そんな風に考える奴なら初めから吸ってねぇだろ!? もしくはすでに止めてるはずだ。自分の事なのだが――、と考えるようだが自分の事なら止める必要はないと考える人のほうが多いんじゃねぇかな。だから
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普通と逆の発想してみるといいよ

他人が言うことを鵜呑みにするばかりが良いとは思えない。実行するかどうかは別として逆の立場なら、違う面からみるとなど逆転の発想をしてみると視野が広がることは間違いない。この発想のお蔭で損した経験はないと思うけど得した経験なら数えきれないほどある。
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才能って「諦めない心」じゃねぇかなぁ

人生はいつでも自分との闘いだと思ってるせいか、事業をしても他社の動向を気にしたことは殆どないし基本的に気に成らない。理由は同業者を相手に事業しているわけではないからだ。利用者の本音を聞くのが一番確実で間違いがない。問題は途中で自分に勝てるかだろう。
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我慢で仕事を続ける人は凄いけど理解できない

自分が勤めてる会社の悪口からは前向きな発想は何も生まれない。愚痴を言い続ける人は自分で自分の人間性をおとしめているに過ぎないと理解すべきだ。何事に於いても悪口よりホジティブな発想が人間としての魅力を創り上げるような気がする。