我想う支援日誌

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価値観の違い

良し悪しの問題でなく個々の素の価値観はとても大事だし大事にすべき部分だと思う。毎日の生活は何気ない日々の繰り返しなだけに素に近い自分でいられるか否かは後々大きな差がでる『本音で生きる事の気楽さ』を経験した人なら分るだろう。
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会員整理の期日が過ぎて

現在のあんしんサポートでは支援できない対象者となった会員さん達の整理に足掛け7年間をかけ、ようやく会員整理が完了しました。幸いなことに今回の実施で揉めた方は皆無でしたから葬儀支援の実態と在り方がある程度理解されているのでしょう。
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無信仰葬のメインは「お別れ」

信仰心のある人は信仰する宗教儀式を行えば良いが、無信仰者は宗教儀式をするほうが変だろ。しかし現在の日本は無信仰者のほうが多い現実、なら無信仰者用の葬式があって当然で今まで無かった事のほうが不思議だ。
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葬式の大別は『〇〇教葬』又は『無信仰葬』だろ

一般葬か家族葬かの選択をする前に信仰心の有無確認が先だろう。無信仰者に特定の信仰儀式を押し付ける現行のあり方は間違っている。信仰心のある人が他の信仰を押し付けられて納得する事はないだろう。それは無信仰者にとっても同じ事。
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夏場自宅で看取りの注意点

自宅での看取りを希望する家族は青枠、赤枠、緑枠、橙枠の内容を覚えておくのは必須です。2021年以降は青枠を理解してない病院もありますので要注意、市役所に提出しても書き直して貰ってくださいと突き返されるのが現実、また橙色枠も大切です
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悠々自適な生活は要らない(俺は)

人生、特にサラリーマンは我慢と忍耐の連続が普通だろう。引き換えに出社さえすれば給料が貰える特典がある。でも60代の定年後くらいは自分の人生を謳歌しても罰は当たらないだろう。但し定年後に考えたのでは間に合わない。50代に入ったら考え始めよう。
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なぜ葬儀支援に拘るの!?

結論から言うと葬儀屋ならとうの昔に辞めてるだろう。ましてや現状の葬儀屋の在り方に何の魅力も感じない。儲けしか考えてないのに表面だけを繕った言葉で騙す仕事に魅力はないし、やる気もない。言い換えればねそんな葬儀業界だから葬儀支援を続ける価値がある。
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葬儀支援を目指す人達へのアドバイス

あんしんサポートの行っているような葬儀支援を望む人達は確実に増え続けます。減り続ける年金と核家族化の中で頼れない子供を考えた時、老後を安心して過ごすには死後費用の不安を解消する必要があるからです。確実に増える葬儀社の中に葬儀支援があれば・・・
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これが完全委託プランの最大利点

葬儀社には無いプランのひとつに『完全委託プラン』があり、昨日の搬送はその恩恵を受ける結果となったので詳細を書いてみます。7月15日午後9時38分逝去の一報が入る(死亡診断書記載死亡時刻、午後8時55分)約30分後お迎え、あんしん館搬送、納棺...
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子供を宛てにできない高齢者の終活思考術

独居老人で子供達には頼れないとか、頼れる人はいない老人は予想以上に沢山いる印象がある。まずは死後費用の不安を無くし、終幕期の人生をどうするか考える流れをすべきだろう。
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この時期は丸一日で腐敗する

今は昔のように三世代同居はとても少なくなりました。それをとやかく言うつもりはありませんが、せめて最後のお別れは普通に顔を見てできるような対策だけはしておくべきだと思う。
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だから事前アドバイスが大事

生前しか出来ないお別れを受け入れる為と、残る家族の後悔を減らす事は『事前相談でしかできないアドバイスである』葬式を滞りなく進める程度でスキル(能力)とは言えないだろう。何が分らないかさえ分らない家族からの依頼を受けるなら必要なスキルは分るだろう。
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会員継続の最終確認で安心できます

設立当初は僕自身が素人だった事もあり、何でもありからのスタートでしたから今回の流れは当然の結果です。一応3年間を掛けての最終確認まできてようやくひと安心です。
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七夕の過去に戻ってみる

七夕に限らず昔から続いてる行事は昔に戻るきっかけになる。過ぎた事だからなのか、実際にそうなのか分らないが「昔は良かった」と素直に思う自分がいる。経済成長の恩恵は大きいがどんなに成長しても忘れてはいけない事もあるような気がする。
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葬儀社の人達の言動は本心だろうか・・・

2030年代に向け葬儀社は確実に増えますが、その大半は葬儀社勤務経験のある人達です。勤務してた葬儀社を丸ごと納得してる人などそうそういないだろう。これから独立するなら葬儀の仕事をした自分の思いと勤務時代に反発したものを反面教師として歩む事です。
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「普通」という言葉に惑わされるな

あんしんサポート設立からどれだけ「普通」とか「常識」という言葉で反発されただろう。でも走る方向に間違いは無いと当時の世間に合せることはありませんでした。15年経った今、我々に近づいてる葬儀社のほうが多い現実が正否を物語っています。
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能力が無いから続けられた経営者人生

過大評価されて人の上に立った時、自分の能力の無さにようやく気付き何をどうして良いか分らなくなった時、相手の希望を出来るだけ叶える事を優先すると円滑な職場になるのが分った。その発想は社内だけでなくお客様にも通用すると教えられて40年が過ぎた。
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家族が葬儀社で使うべきでない言葉

葬式は大切な家族と最後のお別れの時、できれば穏やかな心で温かく送りだしたいものです。あんしんサポートのように嫌なら受けない葬儀社はありませんから、同じ気を遣うなら寺より担当者だし、高額な寺の布施に対し「寺は仕方ない」と言った発言は担当者の反感を買い兼ねません。
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無信仰者だから見えるものがある

信仰で必要なのは生きる指針である事だと思っている。間違っても葬式の為の信仰などあり得ないと思うのだから実態は葬式だけの宗教になってないか!? 無信仰なら無信仰者としての生活や葬式を考えるべきだし周囲に振り回されるべきできない。
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2021年合同盆法要

盆飾りや盆用返礼品を取り扱う葬儀社は多いでしょうが、個々の家庭毎に利用する寺が違う為、盆法要を行う葬儀社は無いはずです。当方で仏式の葬式をした家族は盆や追善供養を依頼する寺はありませんから葬式後も全て可能にして初めて葬儀支援です。