我想う支援日誌

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15年目突入に際し会員確認と整理を実行

設立当初は対象範囲も広く葬式内容も全ての希望に合わせてきましたが支援内容の充実に合せ対象者も絞られてきました。利用者には一定水準以上の支援をと考えると更に絞られる事になりますが対象者にとっては利用し易くなるのが最大メリットです。
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温かい葬式が経験できる家族は極少数

言葉でなく温かいお葬式を経験できた家族は極々少数だろうと思います。事実私が葬儀社勤務してた頃、大手ですから施行数は多いですが一件も無かったでしょう。本当に温かいお葬式を経験すると葬式の概念が変わると思います。
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良心的な病院からの紹介もある

病院紹介の葬儀社が全て高額なわけではない。事実余裕の無い家族には、あんしんサポートを紹介する病院もいくつかあり実質うちより安い葬儀社などありません。またバックマージンの類は一切ありませんから患者家族の事を本気で考えてくれる病院です。
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胃癌摘出から2年半6回目の胃カメラ

40代以降は勿論ですが、できれば老若男女問わず年に1度は身体の機能検査をすべきだと感じます。僕は偶然から超早期発見に繋がり8日間で済みましたが、僕の姉は余命3ヶ月で発見された訳で運不運は否めませんが、運を上げるのは自身の行動だと思う。
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初めはいつも少数派

僕も日本人だが「日本人は他人の意見に左右され過ぎる」無理に逆らう必要はありませんが自分の意思や意見も大事にすべきだと思う。自分の人生は一度だけで自分だけのものです。意見が通るとは限りませんが主張すべき時は主張も大事です。
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心掛けているのは(無理しない、させない)

人には得手不得手があり、僕には工場勤務のような仕事は難しいし、大人数をまとめる仕事も好きではないけど、今の葬儀支援を必要とする人達と膝を突き合わせて可能な限りの支援を考えて実行する日々は身の丈に合ってるんだと思う。あなたにとっては身の丈とは!?
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逝去まで葬式を考えないのは何故!?

人生の区切りとなる葬式なのに事前に何の相談もせず逝去してから突然葬儀社に依頼する家族が後を絶ちません。そんな葬式で温かく満足できる葬式などできるはずがありません。我が家のケースを頭の中でシュミレーションしてみれば理解できるかもしれません。
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余命宣告について明確にしておく

実姉の死を見ているからか、恐怖心との闘いは辛いだろうけど別れの時間を過ごしたり家族や仕事の今後を話せたほうが悔いは少ないと思うので『宣告して欲しい』皆さん自身もその辺りは明言しておかないと家族が自分と違う判断をする事もあり得るのです。
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認知症は最後の特効薬かもしれない

誰でも認知症になりたくないと思ってるでしょうが「長寿である」という条件下なら一概に悪いとは言えない気がします。認知症の「忘れる」症状は死を目前にした人の持つ死の恐怖を最小限に抑える効果が得られる気がするからです。病気なのでしょうが長寿時代の進化では!?
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当り前の幸せを再認識

幸せの根底にあるのは人が当り前だと思ってる事が大前提のようです。それを利己的思考で破壊するのが人間の「業」なのでしょうが、我々庶民は自分の健康管理をし家族関係を良好にし、更には職場の人間関係を良好に維持することに徹して過ごしましょう。
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葬式関連の疑問とあるべき姿『20』

今回に限り「20項目を順次リンク」します。
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片道45分の公営墓地内にある墓探し

2時間も事前相談すると家族にとって必要な事が見えてくるからアドバイスを始めると余分な事までする羽目になる。タクシーで来てくれた人を乗せて行くのも日常茶飯事で費用の発生しないケースがとにかく多く利口ではないが葬儀支援を行うには必須の感覚ではある。
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菩提寺の葬式を受けない理由

多分皆さんが思ってる以上に現在の内容での料金設定は簡単ではないと思います。日本全国の葬儀社のホームページで詳細を見れば『国内無二の存在』なのが分るでしょう。基本が家族目線ですから宗教者は関係ありません。まして日本人の80%は無信仰なのですから――、
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執着を捨てれば人は楽に生きられる

頑張ったからと必ず成功するわけでなく、成功したからと楽しいとは限らないのが僕自身が経験し感じた人生。今は頑張りもせず、無理もせず、それでも紹介で来る人達は毎月10数人以上はいる。頑張る時期は当然あって然るべきだけど、楽に生きるギアチェンジも必要だと思う。
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「余命宣告」について考えてみた

余命宣告を受けてる人達は沢山いる。勿論医師の判断が全て正確な訳ではないしあてに成らない現実も沢山見ている。でも自分の人生なのだから最後まで自分の意思で自分なりに精一杯生きるべきだし、それが家族にとってもベターだと思っている。例えば俺なら――、
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葬儀支援の最大かつ最終目的

葬儀支援の目的は葬式を施行することではない「葬式とはなんぞや」葬儀葬式の概念を変革させ既存の葬式に違和感を感じる人達が当り前に自分の思う葬式ができる世の中に近づけること、言葉だけでは説得力がないから人の死に関わる全てに低料金で対処してるに過ぎない
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「死」の相談は50代、出来れば60代な気がする

60代、70代、80代の人生経験豊富な人達が本気で本音で「死」について相談できるのは完全な大人であり、尚且つ老人を感じさせない極々限られた人なのかもしれないと息子と話して感じた。僕の場合年齢的には充分だからジジイだと思われたら相談は難しいだろう。
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Believe in yourself(自分を信じて)

簡単で難しく、難しいようで簡単なのは『自分を信じることだろう』この点については結果より「疑わない」「信じ切る」ことが大事だと思っている。そう考えると無信仰者の僕でも信仰の強さは何となく分る気がする。
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見習いたい人生の閉じ方

エンディングノートの誕生で人生の幕引き計画を立てる人は沢山おられるでしょうが、「なるほどぉ」と納得した経験はありませんでした。ところがエンディングノートなど書いてなくても見事な幕引きをされた故人の話しです。
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サラリーマンでなくて良かった

66才にもなると同級生を見てジジイだなぁと思うようになる。冷静に考えれば自分も同じなのだがジジイを意識されない生き方は可能だ。今の生活は仕事柄不規則極まりないが自分の意思ではどうにもならず相手次第の仕事が老けなくて良いのかもしれない。