大前提の無い葬式論は暴言でしかない

我想う支援日誌
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寝不足と疲れでいつもより回転が鈍くなってた思考回路がようやく戻ってきたようです。

この一か月20件ほどのうち半数以上が深夜・早朝搬送だったからに過ぎないのですが、この辺りが年齢的な衰えなのでしょう。

今回の話題は前回ブログで書いた家族もそうですが、財布事情が厳しい中で行う葬式が続いた事もありそんな事情の中での葬式についてです。

親戚、葬儀社、菩提寺の人達は何故か『故人最優先』で言葉を吐きます。但し故人の意思でなく自分が思う故人の尊厳!?重視だけどね。

「故人の ~」「最後ですから」「供養うんぬん」等々言葉は違えど全て『故人の為』という前提で暴言を当たり前のように吐くのが現実です。

なら聞きますが、生花や花祭壇が供養ですか? 豪華に飾る事が供養ですか? 旨くもない高い料理を出すことが供養ですか? 信仰心も無いのに読経と戒名が供養ですか?

死んだ経験もないのにこれらを供養だと言う神経が理解できません。

死後の世界が有るか無いか不明だけど有るなら現世の延長と考えるのが自然、誰もが理解できる考え方ですから、自分にとって何が供養と呼べるか考えてみれば分ります。

例えば僕自身が家族を残して逝くとしたら・・・・
》嫁さんが残りの人生を謳歌して天寿をまっとうしてくれる事
》家族が各々の人生を生き甲斐を持って生きてくれる事
》千明を助け、あんしんサポートが今まで通り存続する事
以上が達成すれば思い残す事はなく僕にとって最高の供養です

豪華で派手な葬式など供養にはなりません。ってゆーか残る家族の生活に支障が出るような葬式は供養どころか僕の意思に反する行為でしかなく故人の尊厳を犯す行為です。

まず大前提となる2点をしっかり抑えた上でなければ暴言暴挙でしかありません。

絶対犯しては成らない大前提となる2点
1.残る家族の生活に支障がでない事
2.故人を含めた家族の意思で行う事

ところが現実は家族の意思確認もせず、生活事情も考えず、葬儀社と菩提寺は自分達の利益だけで発言するし、親戚は無責任発言と理解せず当然の如く吐いてる現実です。

この大前提は普通の倫理と道徳と常識と頭脳を持ち合わせた人なら極々当たり前の事で、もし異論を唱える人がいたら普通の感覚を持った人ではなく異常な思考の持ち主です。

ひとつだけ覚えておかれると良いでしょう。

自分の中にある常識(当り前)が誰にでも通用するとは限らない。賢い人は相手の立場でじっくり考えてから口に出しているはずです

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