お気楽に生きるコツ教えます

日々の「我想う」
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結論から言えば『執着を捨てること』で、毎年作成したパンフレットや著書にも必ず書いてる言葉『人は執着を捨てれば楽に生きられる』これは自分の人生経験から生まれたものです。執着を捨てるとは、言い換えれば『今を肯定して生きること』です。

少なくとも13年前までの僕は、あらゆる事に執着して生きてたと思う。ところが人の死を扱う仕事をすると、どんなに執着しても、死ぬまでの事だし、人生の終わりがいつ訪れるか分らず、それは30年後かもしれないし、明日かもしれない現実を目の当たりにしてきたからの変化だと思う。

『自分』『金』『地位』『収入』『職種』『家』『車』『被服』『過去』『見栄・世間体』など執着の対象はいくらでもあるし、思い当たる人のほうが多いはずです。ただ僕の知る限り『執着』は『自己満足』以外は自分を苦しめることばかりでした。その自己満足も、周囲から見れば裸の王様に近いものでしかないと、反面教師として教えてくれたのは幼馴染でした。

・一時は商売で成功し1億円以上の現金を持ってたそうです
・今は生活すらまともに出来ないのに中古のポルシェに乗ってました
・肉体労働の仕事に不似合いな恰好で気取って現場に来ますが、違和感しかありません
・収入以上の生活は続かず金銭問題ばかり、結果は信用を無くすだけにしか見えません

小さな頃から知ってる人間ですから、根は悪い奴では無いと思うのですが一言で言えば人として『愚図』と言うしかありませんけど、反面教師としては最高の存在とも言えるでしょう。そんな彼は『過去』『見栄』への自己満足と執着で家族からの信頼もなく、友人を減らし、世間を狭くしてるのですから、結局は自分の人生を殺伐としたものにしているはずです。

あんしんサポート設立5年後くらいまでは一生懸命に頑張ってきたと思います。その甲斐あって年間100施行を超え、200施行に手が届くところまで来ると体力の限界が見え、組織拡大をしようと試算したら料金値上げは必至と分り、更に過去の経営者時代が蘇ってきました。人の問題と資金の問題ばかりの日々、人は羨みますが、満足感や生き甲斐を持てた事はありませんでした。

また同じ道を歩きたいのか!? もうすぐ60代に突入だぞ! こんな人生を目指してたのか!? 等々自問自答の日々――、ところが基本的に投資も借金もせず設立した「あんしんサポート」で施行収入があると自分達へのご褒美として、幸楽苑で290円のラーメンと餃子と半炒飯のセットを2人で分けて食べてた時期がありましたが、喜んでくれた家族の話しをしながら食べたご褒美飯はとっても旨かったし、今までに無い満足感がありました。

幼少期は坊ちゃんで育ち、少年期に家業の倒産で無一文になり、一生懸命踏ん張って給与を上げ、その後は経営者となり年収も1,000万円を超え、それなりに豊かになりましたが、満足も納得もできず、流れの中で嫌々あんしんサポートを設立、ところが天職だろうと分ったり、偽善が嫌で所有してた会社を閉鎖、また食えない状況になる所でしたが、閉鎖と同時に食えるようになって現在に至ってます。金の有無を2往復する人生と、人の死の現実が見える仕事に携われたから、一言で言えば『腹を括れた』のだと思う。

それと、料亭、フルコース料理、パーティーなど結構な回数出席したり、3万円のポロシャツが普通だったり、車は600万円のセルシオ、一般的に言われる贅沢もさせて貰えましたが、どれも満足はせず、料理も旨いと思ったことさえありませんでした。

現在乗ってる日産ノートは9,8000円、ポシャツは980円だし、好きなご飯は何? と聞かれたら玉子かけご飯、水を掛けたご飯と葉唐辛子、白菜漬けでご飯、沢庵でご飯、育ちの悪さ満開ですけど、毎日食べても飽きない食事、おかずが沢山あると迷っちゃう人です。言いたいのは満足や幸せは食べ物と一緒で人それぞれって事です。65才の今、僕が自分の人生観を書き出すと・・・

・自分の好きな事を遠慮せずできる人生
・何時間でも話し合える相手がいる人生
・天気のいい日なら、おにぎり持って出掛けられる人生
・自分を必要としてくれる人がいる人生
・贅沢は出来なくても食える人生
・これらを可能にする心身の健康がある人生
・それらが重なれば、自ずと生き甲斐のある人生と成り得る
・糖尿病、脂肪肝、癌体質と病気があっても生きてるじゃん
・金が無くても食えてるじゃん
・公私ともに一緒に人生を歩ける人がいるじゃん
・何だかんだ言っても65才まで生きて来たじゃん(僕の場合)

執着の大半は『他人の目』です。いつ終わるか分らない人生、見栄は要らない、過去は要らない、今日を謳歌して明日を明るい日に――、同じ24時間を過ごすなら気楽なほうがいいですよ。

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