ネットに多い葬式倫理は生活を守ってくれない

日々の「我想う」
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葬儀支援の入口に立った13年前も、今も変わらないのは『葬式の事は何も分からない』と当り前のように言う人の多さと、その無知さが自分の首を絞めてる事実に気づかない人ばかりの不思議です。自分のことだから、構わないとも思うけど、無知とは言い換えれば無色ですから、どんな色にでも簡単に染まるし、純粋な状態でもあるわけです。その結果として洗脳される人もいるし、そうしなければ成らないと思い込む人もいます。

うちの千明は大手葬儀社の営業を8年してた人で、僕と話す前は大手葬儀社の行う高額な葬式が当り前だと思い、親や自分達の葬式費用を貯めておかなければ――、と当たり前に思ってたそうで、祖父母の葬式経験はあるけど自分が喪主や施主をした経験はありませんから、相談に来る多くの人達と同じでした。

活動し始めた当初は僕の言動に『なんで?』の思いのほうが強かったようですが、葬式した家族と話す回数が増えるのと比例して意識の変化があったそうです。かつては葬式後の家族から感謝されるより、予想以上の出費に嫌な顔をされる事も多かったそうです。

ところが、あんしんサポートで葬式した家族から聞くのは『感謝』と『安堵』の言葉が大半だったことで、本当に大切なことは何かに気づき少しづつ自分の感覚が変化したのでしょう。

葬儀業界の内側から葬儀屋、評論家の話を見聞きして感じるのは『葬式』だけを『自分の感覚』で押し付ける傾向が強いことです。この傾向はネットの中で結構有名な人達も同様です。どんな事を言っても相手が無知に近い人達なのですから簡単、小学一年生を教える先生のようです。

問題だと思うのは、その人達が行っている葬式費用です。
どんなに偉そうな事を言っても、最後は高額費用がもれなく付いて来るのでは、洗脳と言われても仕方ないでしょう。大多数の利用者でさえ「高過ぎる」と言う布施さえ話題に取上げないか、もしくは「それくらいは必要」と言う論法をとるでしょう。

例えば、何度も言ってるドライアスは使い過ぎ、また布団の安置の顔の横に置くのは意味が無いと書いてますが、もし、これを否定するとしたら「絶対に間違いのないよう対処する」とでも言えば知識の無い人達の不安を煽けるから通るかもしれませんし、前述の布施で言うなら、寺の経営状態や生活状態など葬儀屋が分るはずが無いんです。こんなの親戚だって、隣家だって同じでしょ!?

そんな人達が正統のような顔をしてる葬儀業界です。次の点を考慮して人の話しは聞きましょう。また個々に葬式の考え方が違っても問題ありません(全ての宗教、全世界で葬式は全く違います)大切なのは誰かの言う事を鵜呑みにするのではなく、自分、我が家の葬式を考えておくことです。

1. 我が家の財布事情、もし葬式になったら問題無く出せる金額はいくらまでか
2. あとに残る人達の生活に支障は出ないか
3. 誰の終幕が来ても後悔は残らないか
4. 自分の心が思う葬式はどんなことを最優先すべきか、さらに自分に信仰心はあるのか
 『家族との別れ』『宗教儀式』『死後の葬式』『存命中のお別れ』などの優先順位
5. 無信仰なら、無信仰の葬式をすれば良い、出来ない葬儀屋なら初めから対象外
6. 我が家の行うべき葬式が決まれば、それを確実に実行してくれる葬儀屋を探す

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