8.今どき白装束?

我想う支援日誌
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時代錯誤も甚だはなはしい

着衣の話題が出たので、湯かん儀で白装束(天冠三角布・一重の着物・手甲・数珠・頭陀袋ずだぶくろ・脚絆、足袋・草鞋わらじ)を着せるのが普通だろうと思いますが、2千数百件の支援をしてきた結果、不要と判断してから仏式の葬式でも着せることが無くなりました。その理由は2つです。

当初は葬式の流れすら分からず、葬儀屋、宗教者の言いなりでしたが葬式の大半は宗教者か葬儀屋が行い、家族は見たり聞いたりしてるだけで線香や焼香をする程度、葬式は家族が送り出すというより業者が行う印象が強かったけど、湯かんで手足を拭き、白装束を故人の身に着けることだけは家族自身の手で行う事から、この部分が大事と数年前まで一番ちからを入れてきました。

白装束を着せて欲しいですか?

ところが手足を拭く湯かんに関しては死後病院で全身を拭いてくれる事から、手足の一部を拭く形だけの湯かんは無用と思うようになり、葬式後や事前相談で白装束を着せて送り出す話しをすると、大半の人は「自分は着たくない」と言いますから、大多数が嫌だという事を無理にする必要ないと思うようになった。

言われてみれば僕自身も白装束を着たいとは思わず、草鞋わらじは履いた事すらなく想像すると擦れて皮が剥けて足が痛くなるイメージしか湧かない、そもそも着物を着る習慣もありませんから普段着が一番楽だと思えた。

故人は仏教徒ですか?

また当方会員の90%は無信仰者と言い、厚い信仰を持ってるのは仏教徒でなくクリスチャン、僕自身も無信仰者と公言する人間ですから、仏教の慣習は関係なく時代錯誤の服装など不要、人生70年、墓参り以外は仏教と無縁に近い生活をしてたのに死後だけ仏教作法する必要はないと再認識させられました。

日本で行われてる葬式で一番多いのが仏教葬だから、葬式期間の中で至るところに仏教思考がありますけど、僕が故人なら宗教儀式は無用ですから、僕の死体を火葬場の予約日時まで安置して、火葬すれば葬式は完了、あとは焼骨をどうするか、真暗、多湿、虫が這う墓には入りたくないないし、形ある物を残して良い事はありませんから、焼骨も含め全て処分して欲しいと思ってます。

もし僕の焼骨を少し持っていたと思う家族がいたら、粉骨にして持ってる人が納得する場所に撒いてくれたら良いと思う。もっと言えば子供達が住むなら家を残しても良いけど、不要なら処分方法まで考慮して伝えておく必要があり、取り壊すなら相応の費用を残す必要さえあると思ってます。

湯かん無用の時代

にも拘わらず湯かん納棺儀を行うのは何故だろう? と考えると葬式=仏教儀式、それが当然のように習慣化され洗脳されてきた結果と、宗教儀式への誘導商法で葬儀屋が金儲けする霊感商法だと気付かされたのは、業者が故人を風呂に入れ、その後に白装束を着せたり、死化粧をして家族に見せる湯かんでした。

こうしてあげる事が供養と言わんばかりに見せるショーに感動する家族がいるのも確か、でも故人はさらし者にしか見えず、湯かんの中で「人前で風呂に入れて、素顔から化粧され綺麗になる過程を家族や親戚に見せたいですか?」と確認し続けた結果、女性は誰一人として「はい」と言った人はいません。

ぬるま湯とはいえ死体を温めるとは腐敗を促進させる行為でもあり、宗教儀式としての意味合いはあるとしても、大多数は無信仰者と公言する日本人に湯かん、白装束は無用とプランから排除、希望者のみ別途対応すれば良い設定にした事から、葬式プランの低料金化にもなりました。

葬式は家族の思いと事情で好きにすれば良い

僕は無信仰者だから、仏教徒、神徒、クリスチャン、無信仰者、全ての人を同じ目線で見るし、葬式=信仰でなく『生前親交の深かった人達だけで温かく送るのが葬式』だと思ってますから、残る家族が温かい心を持ち続けられる諸事情を最優先すべきの理念で支援してます。

仏教徒は線香を供え、神徒は玉串奉天、カトリックは献花、そして何もしない信仰もあり、更に家族の諸事情もありますから、無理をせず、温かい心で火葬して焼骨処理すれば良く、葬式内容で我々がとやかく言う必要はなく、事業として対象外の家族の依頼なら受けなければ良いだけの事です。

その典型のひとつが湯かん納棺儀、5万円~10万円の費用を掛けて行う必要の無い家族も多いはず――、

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