あんしんサポート葬儀支援センター「信条」
「葬儀は大事、でも残る家族の生活はもっと大事、だから絶対に無理はさせません」
信条には2つの意味合いがあり、ひとつは文言そのまま『葬式より残る家族の生活のほうが大事』普通の神経と感覚があれば至極当然のことです。
されど現実は「葬式は金の問題じゃねぇだろ!」と耳を疑うような言葉を平然と口にする親戚もいて『馬鹿なの!?』と呆れるばかりです。
もうひとつ葬式は死後に行うものと思い込んでる方のほうが多いけど、その感覚そのものが間違いであり後悔の種である事に気付いて欲しい言葉です。
「死後」を冷静に捉え、且つ自分が故人の立場ならと考えてみましょう。
『死後』について冷静に考えてみよう 死後の世界の有無は死んでみなければ分かりません。 死後の世界があるなら各宗教に違う世界があるって事!? 仏教、神道、キリスト教など何十もの死後が存在してるの? 当然ながら無信仰者用の世界もあることになる。 在り得ないと思うけど未知の事だから完全否定はできない。 でも人生の中で死んだ経験のある人に出逢ったことは無い。
僕自身は無信仰者ですから宗教で言う死後の世界は信じてませんが、死後は「無」になると考えるより、輪廻転生や復活のような来世があると考えたほうが夢はあるし死を前向きに捉えられますからそれを否定する気はありません。
『我が想い』
他人がどう考えるかは分からないし分かる必要もないけど、自分が家族や周囲にどうすれば後悔が減らせるかは分かります。
自分が対象者なら死んでから騒いでくれるより生きてる時、できれば普通に言動ができる段階で家族、友人知人との別れを受け入れたい。
家族や周囲の人と個々にじっくり話したり笑ったりして今までの感謝と謝罪を伝え、それを動画か音声に記録しておきたい。
もし自分が送る立場なら、逢いたい人に逢わせたり、行きたい場所に連れていったり、食べたい物を食べて貰ったりしてる姿を動画に納たりと永遠の別れを受け入れられるまで出来る限りのことし続けたい。
この想いは過去に祖父母にしなかった孝行らしい言動が後悔として残っているからで、無理をする気はないけど『今できる事でしてあげられる事は躊躇せずやり続けるべきと思っている』
人生の後悔はいくらでもあるし、祖父母を筆頭に故人への後悔もあるけど、その全てが生前で無ければ叶わない事ばかり、皆さんは違いますか!?
葬式の後悔があるとしたら、それは業者、宗教者、親戚等への後悔であって対故人との関係に於いての後悔では無いのでは?
問題は『別れの時は皆目見当がつかない事』すぐに死ぬことは無いと思ってたら突然の死――、は良くあること、いつ別れの時が来ても後悔しない生き方をしろって事なのでしょうが超難問ですね。
とはいえ、この感覚が分っているのと分からないのでは雲泥の差、家族や配偶者に腹が立った時、朝出掛ける時、寝る時、日常の中で思いを反復することが後悔を減らす言動に繋がると思ってます。
最後に『死後』は宗教儀式不要、周囲への声掛け不要、義理の列席も不要、家族と本当に近しい人達だけで温かく火葬で送ってくれたら充分です。
我が死後に供養したいと思うなら、家族や周囲の人達が笑顔で過ごす姿を見せ続けてくれる事が何より供養となるでしょう。
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