葬式のあるべき姿を教えてくれた父親

我想う支援日誌
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前回は公開してから『これじゃあ俺の性分を書いただけで葬儀支援と繋がらん』って事に気付きましたので、今回は「なぜ、葬儀支援と思ったか」を書けば会員さんや相談者に聞かれる「なぜ?」に繋がると思う。

結論を言えば『父親の葬式が目から鱗』で2007年9月まで葬式について考えた事さえなく、坊さんが読経して焼香するのが葬式程度の知識しかありませんし、家族親族の葬式だけで十数回経験しているにも関わらず皆さん同様で葬式で感動や納得もなければ疑問すら持った事さえ無かった。

ところが父親の葬式を聞いて分ったのは
『葬式は形式や当り前のように行われている事が決して正解ではない事』
『今の葬式は葬儀屋と宗教者の為に行われ葬式後の家族生活は全く考慮されてない事』
『葬式は儲かる商売の道具でしかない現実に気付かれたのが父親の葬式』

詳細は「葬儀支援への流れ」「1」~必要な部分まで読んでご確認ください。

ようするに家族を亡くした悲しみや不安定な心境に対し霊感商法を用いて大きな利益を得ようする葬式の現実への怒りが最大のきっかけで、2030年代の団塊世代終幕期までに余裕の無い家族の選択肢とそれも当たり前の世の中にしておく必要があると考えた。

父親は事業の失敗から自分だけ蒸発して逃げるような肝っ玉の小さい人ではありましたが、葬式で本当に必要なのは形式や建前や見栄でなく、後に残った家族の心が温かくなれる事が最高の葬式だと教えてくれました。

残る家族の心が温かく成れる葬式って何だろうと考えると
『誰が見ても違和感無い品質と可能な限り低料金』
『個々の家族毎に違う全ての手続きと最善と思える方法の伝授』

そして――、あんしんサポートの目的でもある
『入会後は死後の心配を一切する事なく安心して生きられる事』が葬儀支援であると歩んで15年目に突入したのが、あんしんサポート葬儀支援センターです。

葬儀支援なる言葉はあっても、国内に現実は存在してませんでしたし、今以て無二の存在ですからそ葬儀屋と支援センターの区別がつかない人のほうが多いでしょうが、利用した人達は肌で感じる違いがあるはずです。

ひとつだけ明言しておくと、あんしんサポートの葬式や考え方が正しいと言ってるのではありません。また個人的にはくだらないとしか思いませんが派手で豪華で300万円の葬式でも、それで家族が満足するならすればいいんです。

但し――、火葬だけの葬式や豪華ではない葬式をする家族、今はそれしか出来ない家族に対して、自分の価値観でものを言わず、他人の意思を尊重したり配慮する心くらいの器量と、少なくとも暴言を吐かないことです。

この手の人は結構多く器の小さい馬鹿な奴にしか見えないし、物事の本質が見えない人間ですが、繊細で気弱な神経の家族には毒になる存在です。その意味では葬儀支援は感謝される事も多いだけに裸の王様にならないよう自分を戒めることも大事と教えられる反面教師でもあります。

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