「葬式」は葬家の立場で考える

日々の「我想う」
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どうも葬式に対する考え方は、同じ人でも二面性があるように感じる。
・他人事として「葬式」
・喪主としての「葬式」

他人事として「葬式」
ようするに建前論が先行する人が多く「葬送儀礼」だ「一般論として葬式の良し悪し語る」など、何処まで行っても対岸の火感覚で話しをする人が多いが、僕らや家族が聞けば賛同する意見は非常に少なく、話してる本人の自己満足でしかなく、本人は素晴らしい事でも言ってると思うのだろうが、家族から言わせれば無責任な発言でしかないし、
まさに「小さな親切、大きなお世話だ」僕には馬鹿な人間にしか見えない。口を出すなら費用は出す――、というか費用を出すから口も出せるわけで、お金も出さずに口だけ出す人間が良く思われるはずがない。そんな事は常識だと思うから常識に欠ける人間なのだろう。この人は、自分の家の葬式に対し、家族の意に反することを言う人がいても
嫌な気分にならないのだろうか――、と考えれば普通の神経を持ってる人間なら、どうすれば良いか分るだろう。

喪主としての「葬式」
我が家の葬式になったら、心配するのはお金の問題が最初に来て当然なんです。逝去前は病院で入院治療してたり、施設で過ごしてたり、自宅介護なら誰か働けない人がいたりする訳で、収入が減って、費用が大幅に掛る期間なのが普通ですから、財布に余裕が無くても不思議では無いし、当然とも言えるからです。お金の問題は全く考えなくても
良い家庭なら、誰でも葬式は盛大に豪華にするでしょう。でも出来ないし、そんな事をしたら葬式後の生活がどうなるか分らない家族はいくらでもいます。

上記「他人事としての葬式」のような人でも、我が家の生活に支障が出るとか、生活そのものが成り立たないとしたら、それでも上記のような事が言ってられますか!? ね、こう考えれば誰でも理解できるはずです。それでも理解出来ないなら――、だから馬鹿な人間にしか見えないと言うんです。普通に考えれば親戚だからこそ、残る家族の生活を心配すべきなのに、言ってる事は真逆です。こんな親戚がいたら葬式が終われば絶対に付き合いは無くなる人ですから、言う事を聞く必要ありません。自分達家族の生活が守れ、最後の最後まで故人に対し温かい心で送れる葬式だけ考えれば良いんです。

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