存命中に逢わせたい人、行きたい場所は?

生前・死後の手続きアドバイス
この記事は約2分で読めます。
代表
代表

「故人と逢いたい――、」言ってる当人に違和感は無いし、周囲も当たり前のように聞いてるけど『はぁ?』これが僕の本音、何故『はぁ?』なのか少し考えれば分ること。勿論、日々親交の有った人なら何の疑問もないが、滅多に逢わない人が言うから違和感タップリなわけで、ふつう逢いたいとは『逢ってお茶でも飲みながら色んな話しをする事だろ』故人と逢うのは死に顔を見るだけの事と考えれば、逢うなら生きてる時、できれば意思の疎通が普通にできる段階で逢いたいと思うのが普通の感覚だろ!? 死んで逢いたいは義理と建前の言葉でしかない。

ちぎら
ちぎら

言われてみれば納得です。

代表
代表

人が生きる上での義理や建前を否定する気はないけど、大前提として死後の葬式に義理は無用。一緒に生活してきた家族にとって最後の別れなのだから、義理の人達に神経を使うなら、最後のお別れを受け入れる為に時間を使って欲しい。それと対象者は逢いたいと思っても、出掛けられるとは限らないし、近所とも限らず簡単ではないだろうから、元気なうちに逢いたい人がいるか話しの中で確認して、連絡を取り、来て貰ったり、連れて行ったりして逢わせてあげて欲しい――、正直なところ面倒くさいだろうが、死後の後悔を残さない為と思えば、ひいては自分為なのだから我慢して達成してあげよう。

ちぎら
ちぎら

行きたい場所って旅行ですか?

代表
代表

旅行もあれば、思い出の場所もあるし、両親の眠る墓って事だってあるだろうけど、年をとり自由に出掛けられなくなったら、遠慮もあって中々「行きたい」とは言えない心中を察して、時間が空いた時は積極的に何処でも連れて行ってあげてれば、行きたい場所も自然に言うだろう。その意味では食べたい物も同様だろうな。

ちぎら
ちぎら

代表がこう考える何かが過去にあったのですか?

代表
代表

詳細は書かないけど、生まれて数か月から5才までは祖父母に育てられ、5才から15才の家業倒産までは家族7人で生活したけど、倒産以降も又、祖父母に面倒看て貰ったのに、当時の僕は馬鹿孫で当たり前のように生活してた。僕が免許をとった時、当時70代でスクーターに乗って魚屋さんの仕事に行ってたお爺ちゃんが、トヨタカリーナハードトップ(82万円ほど)買ってくれたりと、馬鹿孫の僕は散々苦労を掛けたのに、祖父母に対し孝行らしい事は何一つしなかった。僕が老人に対して持ってる優しさって、もしかしたら、この辺りから来てるのかも・・・『孝行のしたい時に親はなし』僕は祖父母だけど、このことわざは身に染みて感じてるから、僕と同じような後悔をして欲しくないし、僕を反面教師として学んで欲しい――、僕自身も学びの大半は反面教師からだからな。

ちぎら
ちぎら

代表の話しっていつも建前論でなく、実体験での後悔や学びからなんですね。だから説得力があるんでしょうね。

コメント

タイトルとURLをコピーしました