「先見力」から「挑戦」

我想う支援日誌
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挑戦は人生の調味料

多くの人達がそうであるように我が人生も挑戦の連続ですが、幸いなことに命を初めとした「生」や「身体」維持への挑戦経験を考えずとも心身の健康が有り続けた事でしょう。

家業倒産以降は祖父母の食わせて貰いながら学生時代を過ごし、社会に出る頃には頼れる身内は皆無、貯蓄や財産はなく身体ひとつが明白で生活する事自体が挑戦だったのが幸い、一番のメリットは精神的な立ち直りの早やさが身についた事でしょう。最も「喉元過ぎれば――、」の楽観主義とも言えますが、、

とはいえ常に「挑戦」するしかない人生だったから目標を持った人生が過ごせたり、例え失敗や挫折しても早い段階で切り替えできたり、猪突猛進ばかりでなく引く時は引く事もできたんだと思う。

もし人生に「挑戦」が無かったらと考えると、挑戦は調味料、それもどちらかと言えば唐辛子、わさび、胡椒、カラシなど香辛料に近いもの、足らなければ存在を感じず、多過ぎれば食えず、適度なら「旨い!」と思えるもの、その時点での実力に最適な挑戦と目標は人生のスパイスのようです。

挑戦の前段として「先見力」がある

最近は聞かなくなりましたが「頑張れば絶対に良くなる」的な教えを聞かされ、それが当然とする発想が普通で自分に合う仕事であれば問題ありませんけど、合わない仕事を頑張る意味があるでしょうか? なら早い段階で見切りをつけ適職を探す事を目標とすべきです。

これも先見力のひとつ、自身の性格や資質に合う、合わないを早い段階で的確に判断できる人は先見力があり、出来ない人は先見力の無い人と言えるが、問題は単なる愚図の発想か、向上心からの発想かです。

愚図な発想の人は職替えしても人生が良く成る可能性は低く、向上心からの発想をした人は時間は掛かっても最終的には「それで良かった」と思える時は来るはずですから、周囲にどう思われようと自身の生活ができる状態の中で仕事を変更する分には問題はありません。

先見力とは必ずしても良い事ばかりでなく、駄目を見通す事もあるという話しです。飛行機や船は先の天候に合わせ進路変更したり引き返す事があるのと一緒です。

先見力は特殊な能力にあら

先見力を特殊な能力だと思ってる人のほうが多いけど、先見力は今を早送りして見えて来る現実であって、ノストラダムスに代表される見通せない将来予言ではありません。

団塊世代が40代に入れば白髪の人が増え、経済成長で美意識が向上した日本人女性の多くは白髪染め、それも明るい白髪染めをしたがるはず、だからヘアカラーを主軸とした美容室を目指す。

少子化で墓守不在が増え墓閉じは絶対に増えるが、遺骨処理は法的な縛りの少ない散骨が一番増えるはず、また墓参りは老いたら行けない現実、なら散骨と一部粉骨を手元供養の提案をすれば良い。

超高齢化で少子化なら年金は下り続けるのは必然、医療は進化し続け長く生かせる時代になり医療費の高騰は明らか、死後の葬式で100万円単位の費用を掛けられる時代では無くなり、仏教界は金の亡者ばかりの印象から、無信仰者が増えるのも必然となれば火葬だけの葬式が増える。

挙げればキリが無いほど、上記は僕自身が実行した将来図(先見力)ですけど、誰か見ても特殊な能力を要するものでなく、誰が考えても当たり前にことしか言ってません。2020年になるとコロナ感染が流行る――、と2019年までに発言すれば予言だけど、そんな能力はつゆほどもない。

先見力を活かして目指すのが「挑戦」

今の線上にある近未来に合わせ、方針、目標を立て実現に向けて進むのが目標であり「挑戦」ですから、そこに競争相手はおらず、いかに正確な未来予測を描き、その時代の人達の価値観と合致してるかです。

ただ発想した時点では『非常識』な内容である可能性が高く、数十年も先だと理解されないまま未達成となる可能性が高いですから、目標とする内容が適度な未来予測か否か、経験談で言わせて貰うと、僕も含め凡人が考えられる未来予測は50年も100年も先の事ではありません。

また人間(子供は除く)は達成可能な程度の事しか考えられないようで、大人で空を飛べるマントを発明してる人は2024年の今はいないはずです。だから自分が思う先見力に周囲が驚いても、その程度の発想をする人はいくらでもいると思って良い、但し公言しない限り目標にならず、挑戦も出来ず、達成もしません。

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