》残る家族の生活は葬式より優先
習慣や常識は時代の変化に合わせて変わるのは自分が子供の頃と大人に成った今を比較すれば誰でも理解も納得もするだろう。
例えば2月14日のバレンタインデーで女性が好意を持つ相手にチョコを渡して告白する日として定着しているが僕が小学性の頃は無かった。
全国的に広まったのは1960年代だろうと思うけど、今では義理チョコなる言葉もあり一時は誰にでも渡すような時期もあったが少し衰退してる気がする。
この程度の習慣は生活に支障が出るわけでもなく、お遊び感覚だから何がどうでも問題は無いが高額な費用が掛る葬式はそうはいかない。
15年前なら「直葬」は葬式じゃないとさえ言われてたが今では市民権を得るところまで来たので前進してるのは間違いない。
されど未だに過去の習慣を引きずる人達が多数いるのも現実だし、過去の習慣を良しとし擁護しているのは葬儀社関連と一部宗教者だ。
中には『葬式は金の問題じゃないだろ』と家族の生活より大事だと主張する人さえいるのが現実で余りの馬鹿さ加減に呆れる。
絶対条件としてハッキリ伝えておきたい
『残る家族の生活より大事な葬式など無いし絶対にあってはならない』
この大前提が守られない葬式は、誰がどんな理屈を述べても間違っていると断言できる。
葬式後の生活は誰も面倒看てくれないからで言い換えれば全葬式費用を出してくれるか、葬式後の生活は一切面倒看てくれるならどんな葬式でも構いません。
葬儀社は後の生活を保障してくれますか?
宗教者なら全て面倒看てくれますか?
親戚は一生生活費を渡してくれますか?
また故人の尊厳という言葉を使う葬儀社も多いですが尊厳とは故人を尊重する事と言い換えられます。
故人が残る家族(配偶者)の生活を心配するのは極々自然な感覚で豪華な葬式をする事より遥かに優先されるべき尊厳です。
葬式で行われてたり言われてる習慣の間違いは沢山あり代表的なひとつに『箸での拾骨』があります。
『あの世への橋渡し』と言うが言葉の意味からして「橋」であって「箸」ではない。あくまで語呂合わせに過ぎず、極論を言えば暴走族の『夜露死苦』と大差ない。
拾骨で箸を使った理由は単純明快『昔は熱いまま拾骨だから手では火傷をするから』で屁理屈に過ぎないのは明らかです。
もっと言えば日本は土葬が本来の姿ですから土葬した骨をどうやって橋渡しするんだ!?
何処からどう考えても当たり前にしている習慣は屁理屈に従ってるだけで正確には間違ってるから、うちでは「手で拾骨」するのが当り前になっている。
問題があるとすれば『六価クロム』だろうが何度も計測したが0.05以下で拾骨する程度では問題はないと手で行う拾骨を続けています。
前橋斎場では僕自身が拾骨を先導、焼骨の各部位説明、緑や赤色が付着する理由(生花の色は殆ど付着しない)、骨粗しょう症の焼骨を見せたりして、僕自身が手で触った上で各自手での拾骨を勧めています。
ただ「間違いだ」と遠吠えしても相手にされませんから、職員より焼骨に詳しくなり、家族も職員より僕が担当したほうが良いと思える状態を作る事。
但し職員の方の仕事を取る事を望んではいませんから、首から上の焼骨説明は全てお任せしています。
当り前にしている事が必ずしも正しい訳ではありませんし、業者に誘導されてる事も沢山あると知った上で対処しましょう。