葬式は誰の為、何の為!?
自宅の宗教儀式一般葬・自宅の宗教儀式家族葬・長屋風公営住宅での宗教儀式一般葬・業者施設での一般葬・たった独りで送る直葬、以上が52才までに経験(聞いた)した家族親族の葬式一覧、その中で唯一納得し感銘さえしたのは、同居の女性たった独りで送られた父親の直葬だけでした。
現行の葬式は派手で豪華だけど、印象としては祭りの前に行う儀礼行事、様々な各大会前の儀礼行事と同じ印象で大会役員(宗教者)と競技役員(葬儀屋)だけが納得、主役の選手達(家族)はどうでもいい挨拶ばかりで価値のない無駄な時間を過ごすのと同様に思える。
父親の葬式は、たった独りで送る直葬ですが、数年前から永遠の別れを受け入れるべく生き、人生の幕を閉じた後の遺骨処理まで話し合い、葬式は概念より互いの思いを優先して無理をしなかった事は内容や表情に見て取れるほどで『これが葬式のあるべき姿』と思えて感動した。
そこから過去の葬式を振り返ると祖父母と姉の葬式に後悔がの念が湧き出たのは、建前や世間体や概念を押付けられた葬式だったと分ったからですが、葬式について考えた事も話し合った事もありませんでした。
父親の葬式で教えられたのは「大切な人達との別れを互いに受け入れる時間」で「死後では手遅れ、葬式とは存命中で無ければできない事」で「死後に残る不安も解消しておく」べきだという事です。
更に言えば見栄・世間体は無用「最後まで温かい心でいられる葬式」が絶対条件、父親も無信仰者でしたから宗教儀式に意味はなく「線香は要らない」「花はバラがいい」「水でなく水割りがいい」と自分達の思いを伝えおき、残された女性は言われた通りにしたから温もりを感じるのでしょう。
先に逝く人は残す配偶者や家族への不安や心配が一番ですから、残る家族が元気な笑顔で過ごし続ける事は、仏教で言う供養、それも最高の供養となるのは間違いありません。
そもそも読経して戒名を授与の何処が供養なのでしょうか!? 釈迦の弟子になりたいですか? 読経戒名に30万円、50万円の価値がありますか? そう思うのは無信仰者の僕だけでしょうか!? 17年3千件の施行をした今、支援活動開始以前より、その思いが強く成ってるのは何故でしょうか?
仮に布施50万円、葬儀屋100万円だとして、直葬が20万円なら、残りの130万円は配偶者や残る家族に残してあげたいと思いませんか!? 或いは元気なうちに旅行したり、食べたいものを食べたり、カラオケ三昧したりと大切な人達との思い出造り使ったほうが良くないですか?
押付け葬儀屋
狭い了見で得た固定概念で葬式のうんちくを垂れる葬儀屋、信者以外の人達にも仏教の葬式概念を常識の如く語る僧侶、葬式の流れは各地域毎に違うのに押し付けるのが葬儀屋と住職達です。
かつて僕のブログに「あなたは傲慢だ」コメントした住職と名乗る人もいましたが、信者でもない人達にも自分の信仰を押し付けるのは如何なものか!? 葬式を教えてる!? 嫌々それを傲慢と呼ぶのです。
葬式した家族から「ありがとうございました」の言葉は社交辞令でしかないのですが「喜ばれてる」「感謝されてる」と錯覚する独りよがりの葬儀屋と住職には苦笑しかない。
下世話な話しになるが、挿入さえすれば女性は快感が得られると思い込んでる男、男は誘えば乗って来ると思い込んでる女のようで、偏見に気付かない葬儀屋、傲慢に気付かない住職が多いのが現実です。
本当に喜び感謝してるなら黙ってても紹介が増え、布施が高いと言われる事もない。 そうじゃないから営業活動しなければ利用者は増えず、檀家が減り続てるくらい分かるでしょ?
押し付けが嫌なら話しあう
「葬式」について家族間で真剣に話した経験があるだろうか? 人の死亡確率は100%、自分の終幕が50年後かもしれませんが、今日明日かもしれません。
僕も含め「今日明日に死ぬことはない」と思って当然、だけど突然の逝去は何度も経験してきましたから「まさか」は本当にあるんです。そんな経験を何度もしてるのに現実味の無い感覚ない、馬鹿なのか、それが人間なのか分かりませんが現実です。
でも見方を変えれば、現実味が無いから本音で語れるメリットもあり、今日明日にも終幕を迎えようとしてる人に「死」の話しはできませんけど、現実味が無いから本音を笑って話せます。
家族の生活は誰も守ってくれない
結論を言うと『残る家族の生活より大事な葬式は無い』を忘れてはいけません。偉そうに能書きを垂れる葬儀屋、宗教者、親戚が、あなた達家族の生活を守ってくれますか? 自分の生活は自分で守るが日本の大前提ですから、生活が守れる日々と葬式をするが基本です。
葬式前は入院して医療費が掛かったり、施設入所費用が掛かったりが普通ですから、絶対に無理しない生き方と葬式を熟慮しておく必要があります。だから事前予約して県内遠方から1時間以上も掛けて当支援センターに来館される人が多いんだろうと思う。
あなたの地域をカバーしてくれ、死後費用の不安を解消してくれる所を探して、いつでも利用できるよう準備しておく事は決して無駄にはなりませんから、今日明日にでも行動に移すことです。人生最後の終幕時に後悔しない対応策を設定しておけば、死後について考えたり悩んだりせず済みます。
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