糖尿病予備軍も含め2千万人時代
団塊世代が生れた時代なら腹一杯食べさせる事は最大級のもてなしだったでしょうが、5~6人に1人の割合で糖尿病や不安を抱える人がいる今、食事が提供されるのを喜ぶだろうか? かくいう僕自身も糖尿病・脂肪肝の投薬を受けてる身ですから有難迷惑なのが本音です。
葬式の食事は何故か高い、冷めて旨くもない料理で1人前3,000円~、飲物も含めると平均5,000円~掛かるはず、30人で15万円~、かといって弁当を持たせるのも今年の6月は高温多湿で食中毒の不安があり個人的には勧められませんけど、火葬まで親族が残る理由があるのでしょうか?
例えば午前11時~葬式、13時火葬(実際は12時半)、2時拾骨なら昼食時間を挟むから食事は当然となるのは理解できるし当然と思えますけど、そもそも親族まで拾骨する必要があるでしょうか?
拾骨は家族だけで良い
11時~葬式なら12時には終了しますから、その時点で家族以外は解散すれば良いのでは? もっと言うと拾骨という作業は必要でしょうか? 改めて調べてないので正確とは言えませんが拾骨は日本独自のもの? また東日本は全骨拾骨だけど西日本は一部拾骨です。
前橋斎場での火葬は僕自身が拾骨先導、箸は使わず、僕も含め各自が素手に拾骨、いくつか理由があるひとつは、第二頸椎を「喉仏」と呼んだり、三途の川の箸渡しなど、箸での拾骨説明のくだりが仏教作法、もっと言えば全拾骨は無理、せいぜい7割程度で残った遺灰置き場は、何故か地蔵や菩薩が建立してあるなど、完全に仏教色だからクリスチャンは遺灰置き場に入れるのを嫌がり拾骨もしないのです。
火葬場の職員に悪意は無いのですが仏教以外の信仰を持つ人達が避けるのは当然、この辺りは外人も増え、無信仰者のほうが多い日本なのですから行政や各火葬場は早急に検討すべき案件です。
僕自身が拾骨先導して感じるのは家族だけの拾骨のほうが最後まで温かく、家族毎にある空気感の中で穏やかな時間になる確率が断然高いのを実感してるからですが、本音を言えば『拾骨』は要らないと思います。
出棺後は葬儀屋に任せても良い
出棺後、もしくは火葬炉に入るまで家族が連れ添っても、その後は火葬場から自宅や予約した食事場所に移動して家族と呼べる人達だけで故人を偲んだり、故人のお蔭で集まる機会を与えられたのですから、故人に感謝しつつ久しぶりに逢った人達と2時間程を過ごすのもありでしょう。
その間に葬儀屋が火葬場に搬送、拾骨は斎場職員に依頼、約2時間後、拾骨した骨壺を受取り終了、家族と呼べる人達だけなら酒を注いで回ったり、親戚等に余分な神経を使う必要もありません。
著名人以外は家族葬が当然
家族葬の定義が様々な理由は「家族葬とはなんぞや」と定義されておらず、理解もしてないから、元々日本は一般葬的な思考が強く人数を減らした葬式を家族葬と呼んだ経緯があるからでしょう。
家族葬とは文字通り『家族で行う葬式』、形態は信仰ある故人なら宗教葬、無信仰者なら直葬、お別れ会など何でも有り、普段から付き合いも無いのに親戚だから呼ぶという発想も理解できません。また他人でも家族同様の付き合いなら家族として同出席すれば良いのです。
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