葬式で聞く納得できない言葉

我想う支援日誌
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葬儀支援センター設立のきっかけは葬式の違和感、疑問、戯言の横行など、ようは納得できない言葉や実態が横行、その挙句に高額な費用が着いて回り年金生活者や金銭的弱者でも脅したり、押し付けたりする現状に怒り心頭だったですから、そんな人生の選択肢もあるという話しです。

5才まで育ててくれ、家業倒産後の15才~も面倒を看てくれた祖父母からの教えのひとつ『自分より弱い人に優しく慈悲の心で接しろ』は道徳・倫理からしても納得する教えですが、葬式について発せられる言葉の中には納得出来なかったり、絶対に間違ってると思うものさえあります。

「葬式代が高過ぎる」「布施が高過ぎる」業界人以外でこの発言を否定する人はおらず、誰もがそれほど高額になる価値観は無いと明言してるのと一緒なのに、霊感商法と脅しでそれが供養の如く押し通し葬儀屋と寺の利益に加担させられる葬式の現実は疑問の範囲を超え戯言でしかない。

葬式より残る家族の生活のほうが大事、こんな至極当然の事を後回しにさせる葬式の現状は多くの人が気づいてはいるのですが、それほ阻む代表的な文言を3つを取り上げてみます。

死んで逢いたい

「亡くなったら逢いたい人もいるじゃないですか?」

この言葉を初めて聞いた時「はぁ!?あんた馬鹿?」と思ってから、似たような発言を聞く度に葬儀屋なら営業話法、一般の人なら本物の馬鹿か偽善者だろうとの思いは今も変わっていません。

死体に逢いたい!?日常的に逢ってた人、特殊な事情で逢えなかった人の発言なら納得できますが、逢うとは「生前・存命中」もっと言えば意思の疎通が取れる時で無ければ間に合わず、死んでから逢いたいは違和感しかなく、生きてる時に逢いに来なかった人が死んで逢いたいなど偽善の言葉でしかない。

本来葬式とは死後でなく「互いに別れを受け入れる時間の事」今の葬式を表す最適な言葉は後葬こうそう死後処理の時間)に過ぎず、本来存命中にしかできない葬式は家族や日々親交の深かった人達に必要な時間、但し家族以外は、お節介に成らないよう対象者と残る家族の意思を最優先した言動が鉄則です。

別れの受け入れだけでなく、死んだ後の心配、やり残した事なども解決や解消するのが残った人達がすべき後葬、残す家族の生活を心配してた故人で、残る家族も希望するなら相談に乗るのも後葬のひとつ、今の葬式は単なる死体処理の時間でしかないが、本当の葬式は短期間で終わらない事もあるだろう。

いずれにしても、残る家族の生活に支障が出るほど高額な費用を掛けて騒ぎ死体処理をすることでなく、余程の自己中心的な故人で無ければ、家族の負担や生活に支障が出る葬式を喜ぶとは思えない。

あの世で浮かばれない

「読経して戒名付けねば、あの世で浮かばれない」と言った住職は何人も見てきたが住職に聞きたい「あんた死んだ経験があるのか!?」住職自身が信じるのは勝手だが、それを他人に押し付けたり、脅すのは間違ってるし謝礼数十万円の請求は霊感商法と言われて当然の行為です。

ついでに言うと、あの世は仏教だけなのか?それとも「キリスト教」「イスラム教」「無信仰者」とそれぞれ別の世界があるのか? 全世界の人達が納得できる説明ができる人はいません。

ただ、善行を積んだ人が逝けるあの世は素晴らしい場所、故に善行を積んで生きれば死は恐いものではないとする教えなら、仏教で言う嘘も方便だと思うから、教えは素晴らしくても布教者が金の亡者では権威と信用を貶める布教者が問題、嫌、もし僕が業界人なら大問題と公言するだろう。

個人的な見解なら読経と戒名で5万円が限度、感覚的には正月の御守り、賽銭、厄除け祈願と同様の感覚、利用者の大半は檀家でさえ慣習としての意味合いが強いのが実態だろう。

高額な布施を請求しなければ成らない現状が仏教界にあるとしたら、尻拭いを檀家にさせるのではなく、所属する宗派を変えるべきですけど、それが駄目なら単立で本来あるべき僧侶の姿勢や信念を貫くべきだろう。

供養ですから

葬儀屋の口癖?「供養ですから」も違和感いっぱい、故人生前の思い、心配、心残りを知った上で言ってるなら別だけど、供物、生花等々高額な費用を掛けさせ「供養になりますよ」は詐欺師発言でしかない。これが一般の商売と異なる点、似合わない服を「お似合いです」と買わせるレベルではないのです。

且つて喪主だった人が人生の幕を閉じる前「代表、俺の時もお願いしますね」と言われる人が増えてますけど、自分の葬式を豪華にしてくれと言った人は1人もいません。自分が喪主をした時に言われた「絶対に無理はするな、残る家族の生活が守れる範囲で葬式すれば良い」これに対する願いです。

自分の死後に残す配偶者や家族の生活は大丈夫だろうか、から発してる言葉だから「俺が現役のうちは絶対に無理はさせないから安心して良いよ」「はい、お願いします」と笑顔になる。これが当支援センターで葬式した家族の実感であり当支援センターだからの安心感でしょう。

『残った家族が毎日を元気な笑顔で過ごす姿を見せ続ける事』これ以上の供養はありません。16年間7回の葬式をされた家族を筆頭にして、複数回葬式された家族は沢山おられ、一般の葬儀屋での葬式経験のある家族が体験した違いは、費用面でけでなく考え方の違いから来る全ての対応のようです。

僕自身は喪主経験がなく一般の葬儀屋利用経験もありませんので詳細は知りませんし、価値観は人それぞれですから、当支援センター理念に賛同される方もいれば、異論を唱える方もおられるでしょうから、自分の価値観で後悔しない葬式をされると良いでしょう。

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