馴染めない人間が業界を変える

我想う支援日誌
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バイト経験、スーパー業界、続いて美容業界と生きて、葬儀業界で生きるようになって17年目、これほど馴染めない業界は人生で初ですから理由を考えてみました。

スーパー業界の頃は僕自身も若く「より良い物をより安く」を目指し辿り着いたのが『我が店はお客様の為にある』の発想、顧客が何を望み、どうすればより利用し易くなるか追求、サラリーマン最後となった美容業界でも顧客の要望を指標とする繁盛店を創る経営指導をしてきた。

35才で美容経営者として起業、パーマの時代は一旦終息、団塊世代が40代に突入すればカットカラーが主流になるはずと自宅で染めるのが普通の時代にカットカラー主体で営業展開、幸い読みは当たり地域一番店と言われた時期もあり、対象者優先の商売は間違って無かったと思う。

ところが葬儀業界は無知な家族を利用した邪道な商売が当然の異様な業界、信仰心も無い葬儀屋が「供養、供養」と家族に言う姿は偽善と戯言でしかなく、業界人との会話に家族を思いやる声はなく、利益を得るためだけの屁理屈と霊感商法が蔓延する異常な業界としか思えなかった。

葬儀業界で生きる大半は「戯言」「霊感商法」「利己主義」に気付きもせず、人が嫌がる仕事をしてやってる、家族に葬式を教えて喜ばれてると社交辞令にも気付かない、自分が依頼する立場で考えれば自社に依頼したいと思う社員がどれだけいるだろうか!?

葬儀業界の実態を知れば知るほど『俺は葬儀屋には成れない』と確信、だから国内初となる家族目線の葬儀支援を思いついたんだと思うから、業界に馴染めない事が改革に繋がったのは間違いない。

通常なら否定はネガティブ発想となるものだが『否定』から始まり『こうすれば良い』と発想し『実現』させれば最高の活力源となる事も知れたし、精神的に楽な生き方に繋がるのも分かった。

17年経っても馴染めない

必要だけど何となく好かれないというか、近所付き合い等で敬遠けいえんされる職業として警察官、刑務官などあると思うが葬儀屋も関わりたくない職業人のひとつだろう。自身の人生でも52才まで葬儀屋との交流は一切なく、どんな人が葬儀屋をするんだろう? が本音でしたから大半の人達も同様でしょう。

葬儀支援を始めて間もない頃、ある人から「他人が死ぬのを待ってるような仕事」と言われた事があったが、冷静に考えれば『確かに・・・』と思った記憶があり、その辺りの事は次回に書いてみたいと思う。

家族や近しい親族の葬式は十数回経験していますが、葬儀屋に感謝の念を持った事はなく胡散臭いイメージしか持ってませんでしたが、そのイメージは葬儀支援を施行する側として17年目の今も変わっておらず、葬儀屋だけでなく、僧侶も含め胡散臭い範囲が広く深くなった感があります。

何で「死」に高額費用が掛かるんだ!?

命を守る為に手術、投薬、入院等で金が掛かるのは理解できるけど、生き返る訳でもないのに死に対するセレモニーで100万円以上を掛ける必要はないが3千件の支援をしてきた人間の結論です。

その100万円は生きてる時に使ってあげるべきでは!? もしくは残る家族の為に使うべきでは!? まともな見識のある人で反論する人間がいるだろうか!?

僕は無信仰者だから宗教儀式に意味も価値もなく宗教者謝礼は無駄と断言、宗教儀式の無い葬式を考えると火葬するだけで充分、あとは親交の深かった人達数人で送ってくれたら充分です。

続いて孫はいませんから墓を持っても後が大変なだけ、でも火葬場の焼骨廃棄所で、何処の誰とも分からない人達とゴチャ混ぜは何となく嫌だから、山林散骨で土に還してくれたら何も残らずベストと思うけど、墓に入りたい人もいるのは確かだから自分達の代だけ利用できる永代供養墓を建立した。

これも焼骨は墓に入れるもの――、とする固定概念に馴染めないから出来た発想のひとつです。

一般的に女性のほうが長生きで90代の老婆はいくらでもいますから、嫁さんが残る前提で考えると嫁さんが普通に生きて、死後処理は僕同様に行う費用が残してあげたられたらベスト、ただ嫁さんが僕より10年、20年と長生きする事だってありうる。

そう考えると可能な限り残してあげたいと思いつつ、一緒に生きてる時間をより充実させるべく、楽しむ為に使うのもありだと思うから、その辺りは家族で相談しながら進めれば良いだろう。

いずれにしても僕の死後に高額な費用を掛ける選択肢は無いと断言する。

親交の有無で決めればいい

無信仰者の人達は僕に賛同する人も多いでしょうが、厚い信仰心のある人は自身の信仰で生き、死後も信仰に沿って行えばいい、但し結果として家族や周囲に迷惑を掛ける可能性がある人は、存命中に納得できるまで関係者で話し合って納得しておく必要がある。

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