改めて墓について考えてみた

我想う支援日誌
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本日2023/01/17午前11時は年末火葬した家族の納骨でした。
殆どの納骨は当方紹介の石屋さんが行ってくれる為、我々が立ち会う事は滅多にありませんが、今回は30日朝一の火葬しか抑えられず納骨時に読経して欲しい依頼と墓の場所が分り難い為の立ち合いです。

納骨は何の問題もなく普通に行われましたが、久しぶりに見た墓の内部は下面は「土」で冬でもジメジメして、フタを閉じれば真暗で虫が這ってるであろう中に数個の骨壺が置かれている極々普通の状態なのですが個人的な感想を言えば「絶対に入りたくない場所」です。

何十回と墓の内部を見てきた僕に言わせれば墓への納骨の何処が供養か全く理解できません。

外観は黒御影くろみかげ石で立派に見えますけど、肝心の骨壺を置くのはジメジメした真暗な場所の棚か土の上、外観はどうでも良いけど、湿気の少ない、風通しの良い、日当たりの良い明るい棚の上なら理解もできますが・・・多くの人達は墓の内部を良く見た事があるのだろうか!?

そもそも「墓」ってなんだろう

最大宗教であるキリスト教では人は「復活」すると言われ、生前の姿のまま頑丈な棺に納められ土中に埋葬されるのは、故人そのものが復活するからで腐敗する血液を抜くエンバーミングを行うのも理解はできますし無信仰者の僕でも「理」に適ってるように思えます。

日本で一番多い仏式では輪廻転生りんねてんしょうすると言われ「地獄」「餓鬼がき」「畜生」「修羅しゅら」「人間」「天界」の六道(六つの世界)に生まれかわるとされ、例えば「畜生界」に生まれてくるなら犬や猫のような存在として生まれる訳だから今生の遺骨は必要ありません。

とはいえ故人が残した身体の一部である事は確かで焼骨以上の遺品は存在しないでしょうから、最愛の人の焼骨なら大切にしたい気持ちは理解できます。

東日本では7寸ほどの大きな骨壺に結構な量を拾骨しますが、西日本では頭部、喉仏、上半身、下半身など各一部を最大4寸ほどの小さな骨壺に拾骨したり寺と墓は別々に納骨もします。

土葬時代の名残りで墓に納骨してる!?

昔は葬式後に葬列を組んで墓に行き埋葬するのが当り前でしたから「墓=埋葬する場所」という事なのだろうと思いますが『焼骨は埋葬する』義務はなく永年自宅に置いても法的に問題ありません。

但し自宅の庭や畑に埋めるとか、故人の好きだった場所に埋める等は法律で禁止されており、最近聞く「樹木葬」も『墓地、埋葬等に関する法律』の管理下にあり『散骨』と『手元供養』のみ法的な縛りはなく地域条例等で禁止しておらず節度ある方法なら散骨可能、但し他人の土地では民事訴訟されても仕方ありませんので独断での散骨は止めましょう。焼骨のままは死体遺棄と同罪にも成り兼ねません。

時代にも合わない「墓」の問題点

・墓参りは必ず行けなくなる時がきます
・建墓費用、納骨堂初期費用が高額である
・墓所の使用料や管理費が掛かり続けます
・墓守が居ない家族が増え続けてます
・最後は墓閉じ+出した遺骨処理に高額な費用が掛かる
・墓は飛躍しようとする子供達の足枷あしかせとなり得る

次回『時代に合った遺骨処理と俺の供養を考えてみた』です

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