孔子の教え70代

我想う支援日誌
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70才で人の道を踏み外すことなく自由に行動

前回の孔子の教えですが、60代までは過去なので戻れませんけど、来年は孔子の最後の教えとなる70才『人の道を踏み外すことなく自由に行動』の年、孔子の教えの本意とは異なるかもしれませんけど、今の心境にシンクロ同 調してるので興味深いです。

当時の70才は超高齢の隠居生活が普通でしょうから、周囲の人達や世間に迷惑を掛けることなく気ままに生きるという事、同級生の半数くらいはすでに同様の人生かもしれません。

俗に言う『悠々自適ゆうゆうじてきな生活』ですが多分僕には合ってないでしょう。仕事が趣味のようで仕事馬鹿のような人生ですから暇があると何をして良いか分からない。元々酒は飲まず飲み屋に行く事もなく、顔に似合わず風俗にも行かず、かと行って1日中スロットするほど好きでもない。

現行の葬式実態は葬儀屋と寺の儲けの為と分かると、そんな事の為に家族が大変な思いをする葬式の在り方に怒りを覚えましたが、胡散臭い葬儀屋だけは絶対嫌だの思いから、苦肉の策として始まった葬儀支援のお蔭で、結果として助けられる家族が安堵する顔や言葉に生き甲斐を感じながらの日々を過ごせてます。

経営者として牽引する日々は上司もおらずサラーリマン特有の苦痛はなく、横柄、傲慢を筆頭とする嫌な人の依頼を我慢してまで受ける必要はなく、当方理念に反する高額な布施の菩提寺葬式、存命中に終幕対策を考えない人も理解不能ですから利用規約のある当支援センターの対象外です。

「まだ生きてるのに死んだ時の話しはするな」と言う人もおられるようですが、余程金があるか、お馬鹿のどちらかだろうとしか思えませんから受けません。死後の話しをしなければ長生きする訳でなく、地震が来てないのに地震の時にどうするかの話しはするな――、と言ってるのと一緒です。

また非会員は当方理念を知りませんから搬送後「菩提寺がある」「寺墓がある」家族だったら結局は断ることになり、一般の葬儀屋だと思って依頼した家族は満足どころか後悔する結果もあります。

当初は傷心に付け込む商売は邪道との怒り、結果として『弱者家族の安心感に繋がる』活動は人の道となりましたが、支援センターと葬儀屋の区別ができない人もいて、そんな人の支援が出来るほど人間はできてませんから「頑張ろう」と思えない人の入会は拒否してきました。

あんしんサポート葬儀支援センターは、周囲が言うような『人助け』をしてる感覚はなく、自分達の生き甲斐、やり甲斐、充実感と自己満足だから365日、24時間、超低報酬でも16年間楽しく続けて来れたのであって、嫌な人の支援を我慢するのも当然だったら、とうの昔に廃業してます。

如何いかがですか、実に自由な発想だと思いませんか? 自由とは何もしない事、何でもできる事ばかりでなく、人の道に反する事でなければ、やりたくない事はしないという自由もあります。

悠々自適な生活が性に合わない人、追われないと出来ない人は僕のような発想もありです。未体験なので分かりませんが自治会役員の中には近い感性の方がおられるかもしれません。ただ僕の知る自治会会長連の人達の半数は名誉職というか、人の上に立ちたい人間ですから似て非なるものです。

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