無理して頑張らない

我想う支援日誌
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今回から生き方の話題になります

62才当時たった2人で年間施行270件、会員数5,000名以上と俗に言う全盛期、設立当初は絶体にできないと言われたからか5万円火葬支援パックの完成から新聞、テレビ、講演会など飛躍する火種となってくれましたが、その反面、無休・徹夜も普通に続く24時間体制という副産物も背負いました。

自分の本心に従えば後悔しない

弱者支援が基本だから超低料金は当然ですが、使用品・内容・付加価値が貧弱で安かろう悪かろうでは意味はないと日本で一番低料金で一番豪華な直葬内容を目指し、死後手続きを一カ所で全て教えてくれない事を知り、葬儀屋では出来ない死後手続きのアドバイスにも取り組みました。

当支援センターの目的は葬式施行ではなく葬式後『残る家族の生活を守ること』であり、その障害の筆頭が高額な葬式実態でしたから、葬式の企画と施行は目的達成の手段、ゆえに絶対不可能と言われた国保からの葬祭費5万円で骨壺に納まれば一銭も無くても死ねる。これが5万円火葬を目指した理由です。

なぜ、そう思ったのかは過去のブログ、会員向けに執筆した最終章「高い葬式なんていらんよ」等で詳しく説明してますので割愛しますが、結論を言えば『自己満足』ですから良く言われる人助けの為ではありません。ついでに儲けるつもりもありませんから儲からなくても苦になりません。

設立から3年間あんしん館開設までは全く食えない状況でしたから、2人とも手弁当で貯金を切り崩しながらの日々でしたが、不思議と苦痛を感じてた記憶はありません。

一般社員がいたら葬儀支援はできない

どんな能書きを言ったところで『超低料金』で無ければ支援を必要とする家族に価値はありません。そこで全経費を洗いだすと「人件費」が最大の障壁とわかり、一般社員がいれば最低賃金・残業・休日出勤手当等々と社保と厚生年金で最低1人400万円~の人件費となります。

だから法人役員とする事で365日・24時間・薄給でも労働基準監督署に何か言われる事はなく、昔の商店の如く自分達の労働対価を計算しない発想が無いと、絶対に成立しない支援内容ですから家族以外の一般社員がいたら不可能な事業形態です。

見方を変えれば一般社員がいる葬儀屋は、どんな能書きを言っても当支援センターの真似はできないと断言できますから、地域の中で葬儀支援に近い葬儀屋を探す目安のひとつになるかもしれません。

己が資質と価値観を形にする

人の価値観は様々ですが『自分がした事で喜んでる姿を見ると嬉しくなる』が僕の性格「金」「名誉」「地位」は、さほど気にならない人間、自分の事なら挫折しますが他人ひとの事だと頑張れるタイプです。

頭を下げるのが嫌い、傲慢、横柄な人も嫌いですから、全の人に愛情を注げる博愛者の如く人間は出来てませんので、自分が頑張れる人達だけを対象に支援事業をしてるに過ぎません。だから事前相談で価値観と詳細を確認し合った上で入会された会員限定としているのです。

当支援センター理念に反する筆頭が高額に謝礼を要求する「菩提寺」、無休・薄給で踏ん張ってるのは寺の経営を守る為ではありませんんから、菩提寺の葬式は受けないと断言、だから当方理念や菩提寺の葬式は受けない事を知らない非会員さんの依頼も受けられないわけです。

日本で一番多い仏葬式を受けない、葬儀屋では考えられない発想でしょうが、これが本音の価値観を我慢したり、無理をしない典型、但し事業が成立しなくなる可能性もあり、成立しない程度の事業なら閉鎖すれば良く、自分の本心を誤魔化して無理して嫌々続けるよりキッパリ辞めます。

全盛期に衰退期に備える

全盛期の8年前、70才になっても引退できないと想定、年間施行数を37%(100施行)まで減らし、同時期にインボイス制度の導入も発表され、普通の葬儀屋で270施行あれば3億円~の売上に対し3,000万円強の現実と、加齢を考慮するとインボイス対象外まで減らすべきと判断しました。

施行数減らしは「菩提寺の葬式は受けない」「非会員依頼は受けない」「横柄、傲慢など嫌な人の依頼は受けない」と公言、70代は年間60施行(月5施行)まで減らす予定、食える仕事量でないけど70代で生き甲斐が持て、頼られる日々が送れるなら良しと思うからです。

この決断以降、広告宣伝は一切してませんが利用者からの紹介で会員数は変わりません。設立当時、この支援を必要とする老人は増え続けると公言してましたが、年金が下がり続け、独居老人が750万人と増え続ける今、誰も否定出来ない時代にまで進んでます。

青少年は未来に向けて生きるべきですが、僕も含めた老人域の人達は「今を生き明日に繋げる」生き方をされると良いでしょう。未来に向けた我慢より、今を楽しむ事を優先、当然老化は進みますから、10年、、せめて5年先の自分を想定した生き方をされては如何でしょうか?

ボーイスカウト・家業倒産が判断の役に立った

父親の入院先に来て土下座され兄の連帯保証人と成った事が倒産の引鉄ひきがねとも親族から聞かされましたが、どんな経緯であろうと全ては印鑑を押した父親の責任、印鑑を押した時点で保証額だけの余裕が無ければ連鎖倒産は想定内、心情としては理解できても経営者としては三流です。

小学生からボーイスカウトで夏山、冬山、雪の中、雨の中でのキャンプもさせられ、様々な要素を見越した判断を常に求められ、雨が降りそうな時は川の端(増水で流される)木の下(雨水がドサッと落ちる)にテントは張らず傾斜を付けたり、台風の時は非難するタイミングを逃さない判断もしました。

仲間が蛇に噛まれた時は元を縛って吸い出し、マッチ棒の先を崩して火で消毒してから医者に連れて行った事もあり、生死を分ける判断が必要な時は生きられる行動を取るのが絶対条件、もし山で迷ったら下に降りたくなりますが、沢に降りるほうが危険なので山を上に登ったほうが生存率が高いです。

僕の勝手なこじ付けでしょうが、これらの経験則が、いかなる場合でも冷静さを失わず、先を想定し、どうすべきかの判断基準のひとつになっているのかもしれません。

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