死ぬ為の『終活』は間違い、人生を謳歌する為の『余楽』であるべき

日々の「我想う」
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個人的には『終活』という言葉が好きではありません。理由は「死ぬ為の準備」が最大目的だからで『これからの人生をどう生きるか』『どう楽しむか』『どう謳歌するか』が最大目的で当然だし、根底が違うと全く違う結論に達するからです。

途中の通過点では同じ場所を通る項目もあるでしょうが、最後は『死んだらどうして欲しいか――、』『どんな死に方をしたいか――、』という部分が最大テーマのゴールになるはずです。これってね、昔から言われてる『いくらあれば死ねますか!?』『死ぬのにいくら必要ですか!?』この土俵から降りてないのが分りますか? 

65才の人が80才で終幕を迎えるとしたら、あと15年間を「死ぬための費用を貯めたり」「葬式はこうして欲しい」なんて考えながら生きるって楽しいですか? こんな馬鹿げた事を考える必要は無く人の終幕なんて、自分で決められるものでもなく、求めなくても勝手にやってくるんです。だから大事なのは『死後ではなく』て『15年間をどう生きるか』であり、自分なりに人生を楽しんで、謳歌するにはどうすべきか――、これが最大のテーマでなければならんのです。

こう書くと、病気が、お金が、とマイナスの発想ばかりする人もいますが、そんなこたぁ死と同じで、考えて何とかなるもんじゃないし、血圧が高い、血糖値が高い、年金が少ない、心臓が――、と色々な故障や課題があって当然だし普通だろうと思うし、それを考えたからって健康体に戻ることは無いって人のほうが多いんじゃねぇ!? かくいう僕自身も糖尿病と脂肪肝ですが、治らないなら上手く付き合って生きるしかないでしょ? 例え病院で過ごしてたり、自宅療養だとしても、自分なりの人生の謳歌ってのがあるんじゃない、それも自分しか分からないと思う。だから自分で考えろって事です。

勿論、人生の終幕は来るから、その点も含め、どうしたら残りの人生を精一杯楽しめるか、活き活きと過ごせるかって考えると、どんな生き方にせよ生きる為の生活費は絶対に必要です。だけど老人の収入は頑張って増えるもんじゃないし――、年金も含め決まった収入しか無い人のほうが多いわけでしょ。

だから例え70才、75才、80才だとしても『終活』ではなく、余生を楽しむ為の『余楽(よらく)』を考えて、すぐに実行すれば今までがどんな人生だったとしても『終わり良ければ全て良し』でしょう。次回から『何をどう考えれば良いのか』を書きたいと思います。

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