明けましておめでとうございます

我想う支援日誌
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2022年元旦は午前2時30分起床、毎年恒例の大間々町貴船神社に初詣して武井家、千明家合せて17個のお守り受け戻って寝て9時30分起床して家族で正月迎えました。

が・・・午後1時逝去の一報が入り残念ながら元旦はゆっくりできませんでしたけど、これが葬儀の仕事ですから仕方ありません。

ところで毎年のことながら箏曲そうきょく、中でも「春の海」を聞くと心新たになるし、子供時代への思いも馳せ、この時期特有の感慨深いものがあります。

子供の頃は元旦の朝起きると枕元に「肌着」「くつ下」「上着」「ズボン」「ジャンパー」など全て真新しい物が置いてありました。

小さい頃は魚屋さんでしたから、夜中に初詣に行く人達が刺身を注文して帰りに寄って帰るので大人達は明け方まで仕事をし少し寝て昼から正月。

寿司屋さんからコタツ板一杯になるほど大きな寿司桶が届くと「おめでとうございます」の挨拶をしてお年玉を貰うのが我が家の正月、当時は「また寿司かぁ」と思ってましたが寿司を腹一杯食ってたのですから贅沢です。

県道沿いで本町通りと呼ばれる賑やかな通りに面してましたが、元旦の午前中は静かで車も殆ど走って無かったし商店街も殆どの店は閉まってました。

道路に出るとお酒の入った小父さんや着物姿の女性や親子など大勢の人達が初詣の行き帰りにお札を抱えて歩いてた印象があります。

群馬県は空っ風が吹く地域だったせいか、どんよりした曇り空で風の無い元旦が好きなのは今でも変わっていません。

そうそう何とか午前0時まで起きてようと駄菓子屋で沢山買い込みコタツで食べながらの大晦日でしたが年明けまで起きてられない小学生でした。

師走になると店の裏にある中庭に備え付けられた石臼いしうすで餅つきをしてました。

四角い蒸籠せいろで蒸したもち米を大きなきねでつく7人ほどの男性軍、我が家の分と各自の分を交代でつきコネ役はお婆ちゃんでした。

縁側にはホーローのバットが置かれ、餡子あんこ、きな粉、大根おろし、醤油がそれぞれに入ってて、つきたての餅を指で丸めてちぎって投げ入れてくれ食べました。

平らに伸ばした餅と丸めたお供えを沢山作って床の間には大きなお供え、あとは小さいけど、店、お勝手、トイレ、風呂場、かまど、井戸などに飾ってた。

15日になるとお供えは全て水の中に浸して柔らかくしてから焼いたりして食べてたと思う。中には緑や赤のカビが生えてる餅は包丁で削いでたかなぁ。

お爺ちゃん、お婆ちゃん、父親、母親、姉、妹、そして僕の三世代同居の家族でしたが、2022年1月現在存命は妹と僕の2人だけです。

お正月に限らず、子供の頃を思い出すと心が温もる感じがしますから、子供の頃にお年寄りから聞いた「昔は良かったぁ」が今では実感として分ります。

普段は過去の思い出に浸っていられませんが、年に一度大晦日から正月くらいは過去に戻って懐かしい人達の姿や声を思い出すのも良いものです。

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