》逢うなら生きてる時が普通だろ
時々「死んだら逢いたいじゃないですかぁ」と平然と言う人がいる。
本人は何を考えて発してる言葉か理解できないが『良い人』感を出したいのだろうか?
だとしたら逆効果、自分が薄っぺらな人間だと宣言しているようなものだ。
何度も言ってるが普段はろくに来た事もない人が使う自己弁護の言葉と分って言ってるのだろうか!?
普段から顔を出してた人が言うなら何の疑問も感じないが、そんな人は当り前過ぎて口にしない。
また故人が生前「誰にも逢いたくない」と言ってたならそれは死後も同じで死に顔を見せたいとは言わないだろう事は容易に推測できる。
ってゆーか、自分が対象者の立場で逢いたい人がいたら『お茶でもしながら話しができる生きてる時』で死後じゃないだろ!?
生きてる時に逢いたいと思わない人なら死んでも逢いたいとは思わないのが普通だろ。
『自分の死んだ顔を人に見せたいと思う人がいるだろうか』普通の感覚なら嫌だろう。
死に顔を見て何がしたいのか分らない
死後の顔は生前とは違う顔の人が多く死体など見たくないのが普通の感覚だろう。それを見たいと言う目的が理解できない。
以前勤務してた会社の社長が癌で逝去したと聞き、かつての同僚役員に確認して葬式前に逢いに行ったことがある。
安置室には奥さんと娘さんが居たが「お久しぶりです」と挨拶をしてから「お顔は拝見できますか?」と確認した。
「逢ってあげてください」と言われ始めて10秒ほど顔当て布を外した。
死後逢いたいと当たり前のように言う人が多いが『配偶者と家族に確認』した上で『短時間』が基本だろう。
生前誰にも逢いたくないと言ってたなら死後も同じだろう。
奥さんに確認したのは社交辞令のひとつに過ぎないが「逢ってあげてください」と言われたから少しの時間だけ顔を見せて貰った。
部屋に長居はせず部屋を出てから元同僚に詳細を聞いた。
僕の言動が正しいか分らないが『故人の意志を尊重したいと思った』
顔を見た瞬間「なに死んでるんだよ。まだ目的達成してねぇーだろうが」って思わず言いそうになった自分がいたと元同僚に言うと――、
「初めて遺体を見た時、武ちゃんと同じ言葉をでかい声で言ったんだよ」と笑ってた。
逝去の一報を聞いた時『なんで死ぬ前に言わねぇんだよ』との思いは湧き上がったけど、本人は誰にも逢いたく無いと言ってたと聞かされ、故人の立場になってみると『そっかぁ』という思いだった。
一時期は同じ目的を持ち全社員を引っ張ってきた三役員だからこそ思いは同じなのだろう。もし故人である社長が話せたら「ごめん・・・」って言ってたかもしれない。
故人に対する想いは人それぞれですが、いずれにせよ各々が自己解決する問題で家族に負担を掛けるような発言はすべきではないだろう。