15.供養にお金が掛かるはずがない

我想う支援日誌
この記事は約3分で読めます。

供養=高額費用は霊感商法

仏教・新道・キリスト教など、どんな信仰も教えは無信仰者の僕が聞いても納得するものが多く、信仰を否定する気は毛頭ありませんが、その後から高額な謝礼が着いて来たり、高額な寄付、高額な物を購入させるような宗教は全て霊感商法であると断言するし否定します。

そもそも信仰とは『生きる指針』であって、死は人生の最後に付帯する理でことわりあることから行うもの、世界最大信仰のキリスト教、次いでイスラム教などは日々信仰に沿った生き方をしており、生活に密着していますが日本の仏教と神道は「死」「誕生」「受験」「成人」など何か無ければ無関係な人が大多数です。

我が人生70年を振り返ると葬式と法要以外で寺を訪れた記憶はなく、生き方や生き様を学んだ記憶もなく、寺は葬式の時だけ依頼する場所の認識しかありません。普段から何もしてない人が死後だけ読経したり、戒名を授かったからと成仏できるとするには無理があり過ぎます。

読経・戒名で30万円~100万円を渡せば成仏できる!? 僧侶はどれほどの法力を持っているの? 支援活動の中で出逢った100名以上の僧侶は全て普通の人で霊感すら無い人達ばかり、但し家族に対してのアクター役者振りは大したもんだと思うほどで、高額な費用が供養となると洗脳する姿は正に役者です。

理由は単純明快、その高額な布施を使うのは極々凡人の僧侶と家族と本山への上納金、お金で渡す布施は故人に使うものでなく、故人と話した事もなく、生前の生活も知らず、真意すら知らない住職が布施が少ないと「供養の心が足らない」と言える神経は理解も納得もできません。

あの世に金は無い

まず、あの世が有ると誰もが理解する説明ができる人はいません。仏教は極楽や成仏、理輪廻転生と言い、神道は家の守り神なると言い、キリスト教は主の元に行き復活すると言うのですから、無信仰者である僕がからすると、各宗教毎に異なるあの世が存在する事になり信用できない。

もっと言えば、あの世に金の概念がある宗教は無く、あるはずも無いが、この世の「金」で、あの世の供養を唱える姿勢は不信感を煽っているに過ぎず檀家でさえ同様です。

故人の心配や不安解消が最高の供養

16年間、2千数百の支援をしてると、かつては喪主として親の葬式を仕切ってきた人達が故人となったケースは、何十人もおられ、自分の終幕が近いと察した人達が来館して本心を語る事も珍しくない。

多くの人は、後に残す配偶者の生活を心配を筆頭に頼りない子供達や孫達の心配から「代表、自分の時も宜しくお願いしますね」と言われるが、これは自分の葬式依頼をしてる訳でなく『残す家族の生活に支障の出ない葬式をしてくださいね』と言っているのです。

この本音を聞かされる度『後に残った家族が毎日を元気な笑顔で過ごす姿を見せ続ける事』これ以上の供養を僕は知りませんので、残る家族に無理をさせない葬式、最後まで温かく送る先導、そして死後手続きの的確なアドバイスが故人の願う要望なのだから、当葬儀支援センターの使命だと思ってます。

供養に金が掛かるはずが無いんです。読経・戒名などは宗教儀式としての供養であって、僕の知る限り故人が求める家族の供養ではありません。この点をしっかり理解した上で『我が家の葬式と供養』を考えましょう。

コメント