主張内容の変化
17年前、蒸発してた父親の終幕前後の話しは衝撃であり納得できるもので、自分の知る葬式とは全く違う視点でしたから『100万円以上掛かる現行の葬式に疑問』と『葬式とはなんぞや』の言葉が浮かんだ。
しかし葬儀屋経験も実態も知らず対策案も提示できない状態は「違和感」「疑問」程度の発言が精一杯、それ以上は口先だけの評論家でしかないと本音を語れる実績を残すまではと我慢、当時は『残る家族の生活を脅かすような葬式は絶対に間違ってる』の発言が精一杯でした。
葬儀支援センター設立から16年、2,000件以上の葬儀支援活動と改善、改革を続けた結果、葬式内容・遺骨処理・死後手続きアドバイスに至るまで、ほぼ完成の域に達した事から詳細な指摘と、その対応も可能になった訳ですが、苦言は業界に生きる人でも本音は肯定する人もいるんじゃないかな。
主張によるメリット
- 依頼者、業者に対し当支援センターの主義主張ができる
結果として、、 - 当支援センターの理念・信条・目的を貫ける
- 口先だけの言行相反な住職を相手にしなくて良い
- 理念に反する高額な布施を要求する寺の葬式を断れる
- 横柄、傲慢、お客様扱いを希望する人の依頼を断れる
- 事前相談してない人の依頼を断れる
- 余分なフラストレーションが極端に減り精神的にも楽
主張によるデメリット
- 菩提寺、寺に墓のある人の葬式は無くなる
- 施行数減、売上減、利益減の覚悟が必要になること
- それでも依頼したいと思う内容を創り上げるしかない
当支援センターは圧倒的にメリットが多く、理念すら公言できないとすれば続ける意味はありませんでした。
なぜ葬儀屋は主張しないか
単純明快『1件でも多く葬式が欲しいから』→『金が欲しいから』→『豊かな生活がしたいから』が本音の経営者が大半でしょうから、当然と言えば当然だけど金儲けが目的だね。中には借金返済がある経営者もおられますから、僕の発言が羨ましい経営者もいるんじゃないかな。
葬儀屋勤務のサラリーマンは会社の命令だからの1点に尽き、これがサラリーマン最大の難点、僕自身も役員と言えど最終的に社長の主張には逆らえないのがサラリーマン。だから経営者になったと言っても過言ではありません。当然、経営者は全財産と心中する覚悟なので社員とは比較になりません。
主張は覚悟も必要
経営者人生を歩き始めた35才の時、最大の難関は「右」か「左」、「進む」か「止まる」か「引く」などの最終判断ひとつで事業の盛衰が決まる事さえあると分り、最低10年先を見る習慣を持つのと、選択手段の1つとして九星気学を学んだ事もあり主張に比例して覚悟が伴うものです。
最大年商3億円、最大借入金1億円、毎月の返済100万円、自宅不動産も当然担保で賄えない時は保証協会を付けた事もありましたが、35年間を振り返ると返済完了して倒産させず、営業権と顧客は全て引き渡す事で最後まで頑張った人に報いられ、顧客にも迷惑を掛けず法人閉鎖できたのは上出来です。
ただ20年間自分なりに頑張ったきたつもりですが、表面的に見えるものは貯金も含め何も残りませんでした。それでも700万円の投資で20年(年間35万円の投資)食ってこれたのだから良し、経営も人生同様で終わる時は蓄えもないけど借金もない状態なら合格かもしれません。
現時点での想い
20年間の経営者人生があって今があるのでしょうから、金と物は残せませんでしたけど、終盤の人生を生きる術と我慢でなく生き甲斐のある人生に辿り着けたのが最大の報酬でした。
「本音で生きる」と言うと「それが出来れば苦労はしないよ」と言う人もいますが、その人は本音で生きた経験は無いはず、一度の人生だから本音で生きる経験があっても良いと思うのが僕のようです。
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