My Way(我が道と出会えた偶然に感謝)

日々の「我想う」
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葬儀支援に出会うまでは、自分なりに一生懸命生きて来たし、30才以降は会社役員、経営者と人並みもしくは、それ以上の人生かもしれませんが、きっと大多数の人達と同じような日々だったと思う。

仕事をしたくない日があったり、人の問題や、お金等の問題で頭を抱えたり、好きでもない人と逢い社交辞令だけで話したりと、振り返ってみると『虚像の自分ばかりの日々』が当り前で、それが普通、みんな我慢しながら生きてると思い込んでいました。それでも周囲から「いつも前向きですよね」と言われてきたのだから、今の人生を精一杯謳歌したい、しようと思ってたのは間違いありません。

自分の中には『相手が喜んでくれる姿を見ると嬉しくなる自分がいる』これは若い頃からの資質で、18才で免許を所得し車を持ってからは、彼女(今の奥さん)とデートで迎えに行くと、いつも一人で留守番してる母親がいました。身体はあまり丈夫ではなく、父親は何処かに連れて行くタイプでなくそれほど出掛けた事が無いと聞き、なら2人も3人でも一緒だから乗っていけば良いと連れ出したのがきっかけで、デートはいつも3人、又は弟2人が同乗する事もあるので5人という図式でした。

出掛ける時「一緒に行くか?」と聞けば、当り前のように「うん」と答える訳で、みんなで出かけてくると「楽しかったぁ」って言うから、その言葉を聞くと満足してた自分がいました。当時はなにも言いませんでしたが、今聞くと2人だけでデートした記憶が無いと、うちの奥さんは言います。

改めて考えた事もありませんでしたが、自分で行ける人なら、連れて行こうとは思わないけど、自分で行けない人達だから、連れてってあげたいと思ってたみたい。

そんな資質に火を点けたのが葬儀支援だったようで、当時は大切な家族の弔いなら、誰だって豪華で派手で、沢山の人に送って欲しいのが当然だと思っていました。だけど100万円以上の費用を簡単に用意できない家族はいくらでもいますから、少しでも安く一般葬や家族葬をしてあげたい――、とは言え財布の中のお金だけで生活する人を考えると、一銭も要らない葬式は出来ないかと目指したのが当時の『5万円火葬支援パック』でした。

3年後に完成、それなりに満足感はありましたが、その頃になると現行の葬式そのものに疑問が沸き何の為の葬式なんだ? 誰の為の葬式なんだ? 無信仰の俺は宗教儀式なんて要らねぇ! と考えるようになってましたから、また違う土俵へと駆け上がるわけです。

ところが、その土俵には誰も立っていませんでした。誰も居ないってことは、日本の常識にも無いし、賛同する人もなく、正に孤軍奮闘するしかない状況はすぐに分りました。それまで行ってきたことは、葬儀支援を行うスタートラインに立つ準備、これからが本当の葬儀支援になると感じたわけです。

現行の葬式に異を唱え、葬儀屋と宗教者に苦言を呈すのですから、自ら敵を作るようなものだけど、その壁を超えないと一般の人達は理解さえ出来ないのも明白でしたから、日本で初めて、入会を受けない人、依頼を受けない人まで明言する葬儀屋、とにかく変わってる葬儀屋って思われるだろうけど、その先に葬儀屋と葬儀支援の違いを肌で感じて貰える日がくる――、と法人組織をNPOから合同会社に変更するのと同時に意を決して実行しました。

『死後の葬式より、存命中の葬儀が大事』
『葬儀は大事、でも残る家族の生活はもっと大事、だから絶対に無理をしてはいけません』
『無信仰者なら宗教儀式は不要、火葬だけの葬式が当然』
『誰にも訪れる人生の終幕なら、誰でも選択肢はあって当然』
『今の葬式は葬儀屋と宗教者の利益の為で、家族の為の葬式ではない』

余裕のある家族は自分の好きなように葬式をすれば良いわけで、依頼する葬儀社に困ることは無い、また死後の手続きも専門家に依頼すれば対処してくれる。でも金銭面で余裕の無い家族が満足できる内容と料金で依頼できる葬儀社はない、さらに存命中の葬儀相談、葬式相談、死後手続きに至るまで全てに精通して、費用の掛からない弱者中心の葬儀支援センターを団塊世代の終幕期前に創る必要がある。簡単では無いだろうが、それが出来れば自分の資質を思う存分に活かせる仕事になるであろう予測はできました。

年中無休、24時間労働、好きな海外旅行にも行けず、高給でもないけど、堂々と胸を張り、生き甲斐を持って生活できる道は、先人の歩んだ真似でなく、自ら切り拓く道でしたが、13年の時を経た今、だから『My Way』なんだと実感しています。

よく「人助けの人生、いつか必ず良い事がありますよ」と言われますが、今の生き方こそが「良い事」なんだろうと感じてます。

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