人は人に必要とされ生き甲斐になる

日々の「我想う」
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2020年はホームページ、ブログをHTMLからWordPressに変更しましたが、時代の変化とはいえ、我々の年代になると、頭が堅くなってるせいか、横着になってるせいか、新たなものに挑戦するのは簡単ではありません。そこで僕はデータ、テンプレートなどの全てを破棄、削除してしまいます。すると何も無くなりますから作るしかありません。80%完成してても完全消去、作ったものを残しての修整では似通ったものしか出来ず全く違うものは出来ないからです。

根が坊ちゃん育ちで軟弱ですから、やるしかない状況を造り出すのが一番簡単、「やらなきゃ」と口先だけで言い、ダラダラしてるのは自分が嫌になるから、嫌だけどやるしか無い状態にするのが武井流です。

その結果、2170話以上書いたアメブロを捨てることになりました。ほぼ毎日書いても6年分です。人はもったいないと言いますが、僕個人はさほど感じません。過去どう考えてたか参考にはなりますが、5年、6年と経てば社会状況が変化しているし、何も無ければ改めて今の心境を書く気になれます。

今回も14年間の簡単な流れ、記憶に強く残っている葬式や個人的な出来事なども改めて書きましたが、その中でひとつ分ったことがあります。

『人は人に必要とされ生き甲斐となる』です。

例えば一番低価格の直葬は、夜中に起こされ、2人で寝台車で搬送に行き、安定枕付き搬送シートに包んで、あんしん館に運び、式場祭壇前で6尺白布棺に安置、保冷剤で処置、末期の水、線香を供え、死亡届出書に記入して貰い、市役所に届け出代行、コピー1枚、斎場火葬予約、斎場まで棺搬送、待合所案内、白7寸骨壺一式、更に全日人件費まで全て含めて69,000円+税、全部儲かっても69,000円ですから、諸々の経費や2人で3日間の人件費も試算すれば、赤字必至なのは誰でも分るレベルです。

あんしんサポートのパックは、上記直葬+永代供養散骨=10万円、読経、居士大姉戒名付きの家族葬が15万円など、どれを見ても儲けからは掛け離れたものばかりです。また死後手続きの知識に関しては日本で一番詳しい葬儀屋(一般人の感覚)でしょうが、この部分は全て無料で利益はありません。改めて書くと当事者の僕でさえ、馬鹿らしい――、と感じるのが本音です。

しかし14年間普通に食ってきました。ほぼ14年間無休で24時間の仕事だから旅行もできませんでしたが、嫌になった事はありません。嫌に成るとすれば『あぁー、受けなければ良かった』と思う非会員さん家族の葬式の時と、口先だけの坊さんの葬式だけです。でも今は会員以外受けませんし、菩提寺の葬式も受けませんから、この点もほぼ解決し毎日穏やかな心で過ごせます。僕も千明も充実した生き甲斐と遣り甲斐のある人生を過ごせています。

そこで分ったのが『人は人に必要とされ生き甲斐となる』です。全ての人間に共通するか分りませんし、千明は分りませんが、少なくとも僕は、お金の為に我慢して仕事ができる性格では無さそうです。たとえ贅沢はできなくても、普通に食えれば良いし、自分達を必要としてくれる人達がいて、その人達がいるから自分の健康も含め、毎日を元気な笑顔で過ごせるよう心身の体調を整えられる――、気がするんです。

もし生き甲斐の無い人生だったら、今のように自身の健康管理を考えないでしょう。殺伐とした日々や人生を過ごし、時間があるから結構な量の酒を飲み、タバコを止めることも無かったろうし、生きる目的もなく、何となく過ぎる日々を生きてる66才の可能性もあるわけです。

そう考えると『他人に必要とされる事』『それが生き甲斐となる事』は、定年退職する年代の老人世代には、何よりも必要な必須項目な気もします。但し、それは待っていても得られるものではありません。自分の住む地域、周囲で何が求められ、何が望まれてるか、それらと自分をどうジョイントさせるかです。ひとつだけ注意するのは『小さな親切、大きなお世話』ではないことです。

いつまでも若くいられるのも自分、老け込むのも自分の責任です。今の僕はあと何年動けるか――、とは考えなくなりました。そんなものは考えなくても勝手にやってくる。それまでは、いつも通り生き甲斐を持って、穏やかな心で動き続けます。

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