無信仰者だから誰にでも対応できる

我想う支援日誌
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書物と実態の格差

たった一人だけの直葬で送られ、ハワイの海に散骨した父親終幕の話しは、祭壇前で僧侶が読経するのが葬式と思い込んでた僕には新鮮な衝撃と同時に『葬式とは、宗教とはなんぞや』との疑問を湧かせた。

葬式を調べると宗教儀式が大前提、火葬だけの直葬は葬式でなく余裕の無い人達だけが行う形態の如く書かれてましたが、自分の中に信仰心と呼べるものはなく、宗教儀式の葬式は高額な費用が掛かり、残る家族の生活に支障を及ぼす事も珍しくなく納得より嫌悪感が強かった。

宗教を否定する気は無いが、仏教、神道、キリスト教を筆頭にどんな宗教にも信仰心はない自分を知り、特別なのか調べると国民の7割近くが無信仰者と呼べると分り、なら無信仰者用の葬式もあって然るべき、葬式=宗教儀式の記事は偏見でしかないと思えた。

無信仰者を対象とした宗教儀式の無い葬式を創り出そうともしましたが、単純に火葬だけの葬式が余裕の無い家族にも優しい葬式になると気付き『誰が見ても違和感の無い直葬』を創れば良いと分った。

また仏教信仰の人にキリスト教の聖書を説いても理解する気はなく、逆も同様ですが無信仰者は全ての宗教に対して偏見はなく、色メガネで見ない利点があり、どんな信仰の人達にも押し付ける事はない。

仏教は線香を供え、。神道は玉串(榊)さかき奉天、カトリックは献花、無信仰者は何もしなくても良く、どんな宗教儀式でも構わない等、押し付けることも、否定することも無く全てに対応できると分った。簡単に言えば特定宗教専門の葬儀屋以外は無信仰者であるべきという事です。

供養とはなんぞや

供養は仏教用語ですが、日本人にはニュアンス意味合いが理解し易い言葉なので使用すると、僧侶の読経、神主の祝詞、神父の御祈りは全て宗教儀式の供養、無信仰者には供養には成りません。

無信仰者の供養を考えると、自分の死後を依頼したいと来られ事前相談をされた大半は「迷惑を掛けたくない」から始まり「残す配偶者や家族の心配」をしてますから、残る家族が元気な笑顔で過ごす姿を見せ続ける事、以上の供養は無いと言っても過言ではありません。

でもこれは信仰心のある人達にとっても同様、宗教儀式は信仰者限定だけど、無信仰者が納得する供養は全ての宗教信仰者にも通じるものであると分ってきました。

信仰・無信仰問わず同じ対応

葬式内容に拘りの強い面倒な依頼者の入会は受けませんが、仏教の葬式をする家族、クリスチャンの家族、神道の家族、誰に対しても同じ発言、同じ対応をし続けて17年目に入りましたが、利用した家族からの紹介が多いのも全ての信仰者ともに同様ですから、家族目線は宗教が違っても同様です。

ある宗教の人達は金があり、ある宗教の人達は金が無い、なんて事はなく葬式が発生した時点での財布事情で葬式内容は決めれば良く、同じ信仰仲間で送りたい家族もいれば、家族だけで送りたい家族がいるのも宗教とは関係なく、家族の考え方次第です。

当支援センターとして対応できる葬式内容で問題なければ、葬式については5分もあれば充分、しかし死後手続きの話しになると家族毎の諸条件により2時間は普通に掛かります。

当方で行う葬式の中で宗教者が入るのは「仏教」「神道」が多く稀にキリスト教がある程度ですが、宗教儀式の時間等は全て当方の時間割の範囲内で行って頂いてます。分かり易く言うと葬式は宗教者の為でなく、家族の為にあるものですから全てに於いて家族優先です。

その結果、読経は「15~20分」「戒名は居士大姉」また戒名については、僕自身が故人の性格、人柄、仕事、趣味など良い点だけでなく、問題点や悪い点も全て聞かせて貰い、隣で千明がメモ、家族の言葉に合う漢字を選定した上でFAX送信して依頼する住職が授与する方式です。

だからでしょうか、戒名を見て「こういう人です」と涙を流す家族が多いのも特徴、更に使用した漢字の意味も書面で家族に渡しますから、より理解も納得もし易いのでしょう。これも僧侶は特別と思わない無信仰者だから成し得た感動のひとつでしょう。

仏教・神道・無信仰者は祭壇前

仏教・神道・無信仰者は当方祭壇前で納棺、仏教と無信仰者は末期の水を取り、線香を供え、神道の人は榊を飾り、洗米を小皿に移す作業と偲び手を行います。クリスチャンは花だけ飾った別室での納棺です。

葬儀屋さんは宗教別に心にも無い対応をしてるとしか思えませんけど、無信仰者であると公言してあれば、それが嫌な人は入会しませんし、いつも同じ姿勢で対応するから差別もありません。

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